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福島県護国神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年7月5日 (水)
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*「信夫山招魂社碑」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/893604/49] | *「信夫山招魂社碑」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/893604/49] | ||
- | + | *『福島県名勝旧蹟抄』「官祭信夫山招魂社」[https://dl.ndl.go.jp/pid/763465/1/32] | |
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2023年7月5日 (水) 時点における最新版
福島県護国神社(ふくしまけん・ごこくじんじゃ)は、福島県福島市駒山の信夫山にある招魂社。祭神は福島県の戦没者と天照皇大御神。官祭招魂社。内務大臣指定護国神社。別表神社。県内の会津若松招魂社、相馬招魂社、三春招魂社を合祀合併し、信夫山に新たに一社を設け、成立した。黒沼神社に隣接する。社殿は護国神社様式。天照は戦後合祀した祭神で、占領中は大霊神社と称した。信夫山招魂社。福島招魂社。(参照:同名神社福島招魂社)
目次 |
祭神
- 戦没者6万8500余柱(ウェブサイト)
- 天照皇大御神
官祭招魂社時代は世良砥徳・牧野茂敬以下419柱が官祭祭神で、西南戦争戦死者の佐川官兵衛以下176柱、戊辰戦争349柱が私祭祭神とされる。 「官祭招魂社人名台帳」『靖国神社誌』(1911年(明治44年))で419柱とあるのも官祭祭神の数。『靖国神社百年史』(1984年(昭和59年))では6万4490柱、「全国護国神社一覧」では6万8512柱とある。天照大神は1947年(昭和22年)合祀。
歴史
岩代国若松県会津郡若松の会津若松招魂社、磐城国磐前県宇多郡黒木の相馬招魂社、磐城国磐前県田村郡三春町の三春招魂社があった。1876年(明治9年)8月、若松県と磐前県は福島県に合併した。 1879年(明治12年)10月4日、三つの招魂社を福島県信夫郡福島北郊の信夫山に遷座合祀し、さらに西南戦争戦没者の神霊を祭り、創建された。 1937年(昭和12年)11月に現在の社殿に造営。1939年(昭和14年)4月1日、内務省告示142号で指定護国神社の最初34社の一つとなり、福島県護国神社と改称。1947年(昭和22年)天照皇大御神を合祀し、大霊神社と改称[1]。1952年(昭和27年)9月18日に福島県護国神社に復した。
- 1879年(明治12年)10月4日:現在地に相馬招魂社・三春招魂社・若松招魂社の3社合併。官祭信夫山招魂社(『靖国神社百年史』)
- 1939年(昭和14年)4月1日:内務大臣指定の「福島県護国神社」となる。(『靖国神社百年史』)
- 1947年(昭和22年):「大霊神社」と改称(『神道史大辞典』)
- 1952年(昭和27年)9月18日:復称(『全国護国神社会二十五年史』)
- 1960年(昭和35年)10月8日:合祀概了奉告祭(『全国護国神社会二十五年史』)
- 1965年(昭和40年)9月23日:終戦20周年祭(『全国護国神社会二十五年史』)
- 1970年(昭和45年)4月23日:鹿島灘沖にて戦死者(軍属として認められた者)82柱合祀祭並びに奉告祭(『全国護国神社会二十五年史』)
- 1970年(昭和45年)5月18日:幣帛料(『全国護国神社会二十五年史』)
- 1996年(平成8年)7月1日:別表神社に加列(年誌)。
境内
組織
歴代
- 富田忍()<>:
- 飯野盛男()<-1975->:飯野八幡宮宮司。
- 富田好弘()<>:冨田好弘。羽黒神社宮司。