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専修寺慈智院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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左大臣徳大寺公胤の子の、華恩坊空瑣(1582年(天正10年)死去[https://dl.ndl.go.jp/pid/4416246/1/29])が真慧に帰依し創建。 | 左大臣徳大寺公胤の子の、華恩坊空瑣(1582年(天正10年)死去[https://dl.ndl.go.jp/pid/4416246/1/29])が真慧に帰依し創建。 |
2023年6月4日 (日) 時点における版
専修寺慈智院は、三重県津市にある浄土真宗寺院。真宗高田派。専修寺の子院。智恵光院・玉保院と共に三カ院の一つ。山号は幡龍山。
左大臣徳大寺公胤の子の、華恩坊空瑣(1582年(天正10年)死去[1])が真慧に帰依し創建。 空瑣は京都からの帰途、大津で親鸞像を譲り受けた。これが「大谷最初の御影」と伝える親鸞像で、像内から発見されたと伝わる専修寺7世の順証の手紙[2]もある。明治末期に専修寺所蔵になった。 1639年(寛永16年)本堂再建。 舜恕、舜悦などの名が知られる。
- 平松令三1959「伝大谷最初の御影」について」[3]