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美国神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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'''美国神社'''(びくに・じんじゃ)は、兵庫県宍粟市山崎町木ノ谷(播磨国宍粟郡)にある生野の変の殉難者を祀る[[招魂社]]。[[大山祇命]]と[[火迦具土命]]を祀る山神社に非公式に美玉三平・中島太郎兵衛・黒田興一郎を合祀したものらしい。無格社。正式名称は'''山神社'''。[[官軍殉難者奉斎招魂社]]。
'''美国神社'''(びくに・じんじゃ)は、兵庫県宍粟市山崎町木ノ谷(播磨国宍粟郡)にある生野の変の殉難者を祀る[[招魂社]]。[[大山祇命]]と[[火迦具土命]]を祀る山神社に非公式に美玉三平・中島太郎兵衛・黒田興一郎を合祀したものらしい。無格社。正式名称は'''山神社'''。[[官軍殉難者奉斎招魂社]]。
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美玉三平・中島太郎兵衛の殉難の地で、両名の墓碑がある。兄の中島太郎兵衛を介錯し、京都六角獄舎で処刑された黒田興一郎も合わせ祀る。兵庫県神社庁ウェブサイトの該当ページには祭神に殉難者は含まれていない[https://www.hyogo-jinjacho.com/data/6320053.html][https://web.archive.org/web/20240226224836/https://www.hyogo-jinjacho.com/data/6320053.html]。
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美玉三平・中島太郎兵衛の殉難の地で、両名の墓碑がある。兄の中島太郎兵衛を介錯し、京都[[六角獄舎]]で獄死した黒田興一郎も合わせ祀る。兵庫県神社庁ウェブサイトの該当ページには祭神に殉難者は含まれていない[https://www.hyogo-jinjacho.com/data/6320053.html][https://web.archive.org/web/20240226224836/https://www.hyogo-jinjacho.com/data/6320053.html]。
3柱を合祀した時期は不明。生野の変については[[山口護国神社]]を参照。
3柱を合祀した時期は不明。生野の変については[[山口護国神社]]を参照。
==資料==
==資料==
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*稲田耕一1968『木ノ谷に残る勤王志士美玉・中島両氏の伝記』[https://dl.ndl.go.jp/pid/8797852/1/1]
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*1977『山崎町史』「明治を迎える山崎」[https://dl.ndl.go.jp/pid/9573805/1/468][https://dl.ndl.go.jp/pid/9573805/1/476]
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*1985『一宮町史』「世直しへの動きと一宮町」[https://dl.ndl.go.jp/pid/9575791/1/328][https://dl.ndl.go.jp/pid/9575791/1/334]
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[[Category:兵庫県]]
[[Category:兵庫県]]

2024年2月27日 (火) 時点における版

美国神社(びくに・じんじゃ)は、兵庫県宍粟市山崎町木ノ谷(播磨国宍粟郡)にある生野の変の殉難者を祀る招魂社大山祇命火迦具土命を祀る山神社に非公式に美玉三平・中島太郎兵衛・黒田興一郎を合祀したものらしい。無格社。正式名称は山神社官軍殉難者奉斎招魂社

美玉三平・中島太郎兵衛の殉難の地で、両名の墓碑がある。兄の中島太郎兵衛を介錯し、京都六角獄舎で獄死した黒田興一郎も合わせ祀る。兵庫県神社庁ウェブサイトの該当ページには祭神に殉難者は含まれていない[1][2]。 3柱を合祀した時期は不明。生野の変については山口護国神社を参照。

資料

  • 稲田耕一1968『木ノ谷に残る勤王志士美玉・中島両氏の伝記』[3]
  • 1977『山崎町史』「明治を迎える山崎」[4][5]
  • 1985『一宮町史』「世直しへの動きと一宮町」[6][7]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%BE%8E%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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