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大阪・綱敷天神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
(版間での差分)
細 (1版) |
2011年11月14日 (月) 時点における版
綱敷天神社 つなしき てんじんしゃ | |
概要 | 菅原道真左遷旧跡に鎮座する天満宮。一説には梅田の語源の神社。 |
奉斎 | 嵯峨天皇、菅原道真公 |
所在地 | 大阪府大阪市北区神山町9-11 |
所在地(旧国郡) | 摂津国西成郡 |
所属(現在) | 神社本庁 |
格式など | 村社 |
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目次 |
概要
菅原道真左遷旧跡に鎮座する天満宮。祭神は、「嵯峨天皇、菅原道真公」である[1]。嵯峨天皇行幸の地に源融が太融寺を建て、その境内に嵯峨天皇社を創建したのが創始とされる。菅原道真は太融寺に参拝し、紅梅を鑑賞したという。これが梅塚である。このとき、船の綱を敷物としたため、綱敷の名が生じた。渡会春彦はこの地で別れ、当地に留まった。社家白江家になったという。死去後、北野天満宮の創始を受けて、この地にも祀り、嵯峨天皇社と並んで祀ったという。暦応年間に兵火により焼失し、その後、両社は合祀した祀るようになった。梅塚の地には常安寺があり、御旅所の梅塚天満宮があったが、明治維新後、茶屋町に遷座した。一説には梅田の名称はこの梅塚に由来するという。また一説にはキタの名称も天満宮があった北野村に由来するという。村社。(『北野誌』29頁)
画像
参考文献
- 梅原達治1989(平成1)「松浦武四郎『聖跡二十五霊社順拝双六』」『札幌大学教養部教育研究』
- 『北野誌』「全国天満宮所在地一覧」
- 天満信仰#参考文献
脚注
- ↑ 綱敷天神社ウェブサイト