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大聖安寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | '''大聖安寺''' | + | '''大聖安寺'''は、中国金代の首都燕京([[北京]])にあった金朝皇室ゆかりの寺院。[[釈迦如来栴檀瑞像]]が奉安されていた。 |
2代太宗が皇后とともに寄進して営繕。天会12年(1134)、開封から王権の象徴とも考えられていた瑞像を迎えた。のち当時の首都上京の[[大儲慶寺]]に遷座した。 | 2代太宗が皇后とともに寄進して営繕。天会12年(1134)、開封から王権の象徴とも考えられていた瑞像を迎えた。のち当時の首都上京の[[大儲慶寺]]に遷座した。 |
2015年9月19日 (土) 時点における版
大聖安寺は、中国金代の首都燕京(北京)にあった金朝皇室ゆかりの寺院。釈迦如来栴檀瑞像が奉安されていた。
2代太宗が皇后とともに寄進して営繕。天会12年(1134)、開封から王権の象徴とも考えられていた瑞像を迎えた。のち当時の首都上京の大儲慶寺に遷座した。
初期の名前は不明だが、3代熙宗が「大延聖寺」の寺額を下賜。大定7年(1167)に世宗が「大聖安寺」と改称した。
4代皇帝の海陵王(殺害廃位されて王とされたためこの名がある)が上京から燕京に遷都したときには、太廟の仮殿となった。
参考文献
- 藤原崇人、2010「栴檀瑞像の坐す都―金の上京会寧府と仏教」『環東アジア研究センター年報』5