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鳥取藩招魂社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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1870年(明治3年)6月、鳥取藩主池田慶徳が創建。鳥取藩の志士中井範五郎正勝らおよび附属山国隊の80柱を祀る。1961年(昭和36年)の室戸台風で祠が崩壊したが、1969年(昭和44年)5月に再建。「鳥取藩招魂社」碑などがある。(1988年(昭和63年)6月設置の現地解説板) | 1870年(明治3年)6月、鳥取藩主池田慶徳が創建。鳥取藩の志士中井範五郎正勝らおよび附属山国隊の80柱を祀る。1961年(昭和36年)の室戸台風で祠が崩壊したが、1969年(昭和44年)5月に再建。「鳥取藩招魂社」碑などがある。(1988年(昭和63年)6月設置の現地解説板) |
2016年5月7日 (土) 時点における版
鳥取藩招魂社(とっとりはん・しょうこんしゃ)は、京都霊山護国神社の霊山官修墳墓内にある鳥取藩の志士および山国隊の戦没者を祀る招魂社。官祭招魂社。
1870年(明治3年)6月、鳥取藩主池田慶徳が創建。鳥取藩の志士中井範五郎正勝らおよび附属山国隊の80柱を祀る。1961年(昭和36年)の室戸台風で祠が崩壊したが、1969年(昭和44年)5月に再建。「鳥取藩招魂社」碑などがある。(1988年(昭和63年)6月設置の現地解説板) 1911年(明治44年)『靖国神社誌』記載の1870年(明治3年)6月創建の「京都愛宕霊山招魂社」、『もりのしげり』記載の「霊山官祭招魂社 第五社」、「招魂社調」記載の「霊山鳥取招魂社」に該当すると思われる。