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元興寺東塔院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年7月28日 (土)
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中世、両堂を中心とする寺院として再編された。極楽坊と小塔院は鎌倉時代には独立寺院となっているので同じ頃だろうか。 | 中世、両堂を中心とする寺院として再編された。極楽坊と小塔院は鎌倉時代には独立寺院となっているので同じ頃だろうか。 | ||
室町時代、「元興寺別当」の役職には東大寺僧が任命されていたのでその流れを汲んで東大寺末となっているのかもしれない。 | 室町時代、「元興寺別当」の役職には東大寺僧が任命されていたのでその流れを汲んで東大寺末となっているのかもしれない。 | ||
慶長7年(1602)、徳川家康から朱印地50石を与えられた。 | 慶長7年(1602)、徳川家康から朱印地50石を与えられた。 | ||
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2018年7月28日 (土) 時点における最新版
元興寺東塔院(がんごうじ・とうとういん)は、奈良県奈良市にある南都仏教寺院。本尊は弥勒菩薩。元興寺極楽坊、元興寺小塔院と共に古代元興寺を継承する3カ寺の一つ。単称華厳宗で東大寺末。現在の正式名称は元興寺。元興寺関連旧跡。
歴史
古代元興寺の東塔院と観音堂(中門堂)を起源とし、五重塔があった。 中世、両堂を中心とする寺院として再編された。極楽坊と小塔院は鎌倉時代には独立寺院となっているので同じ頃だろうか。 室町時代、「元興寺別当」の役職には東大寺僧が任命されていたのでその流れを汲んで東大寺末となっているのかもしれない。 慶長7年(1602)、徳川家康から朱印地50石を与えられた。 安政6年(1859)2月28日、五重塔と観音堂は焼失した。昭和2年に発掘調査されている。