ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
皇軍神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年3月18日 (月)
(版間での差分)
1行: | 1行: | ||
- | '''皇軍神社'''は鹿児島県鹿児島市にあった神社。祭神は[[武甕槌神]]、[[経津主神]]、[[楠正成]]、島津忠久、島津忠良、島津貴久、島津義久、島津義弘、島津斉興、島津斉彬。[[ | + | '''皇軍神社'''は鹿児島県鹿児島市にあった神社。祭神は[[武甕槌神]]、[[経津主神]]、[[楠正成]]、島津忠久、島津忠良、島津貴久、島津義久、島津義弘、島津斉興、島津斉彬。[[領主奉斎神社]]。[[幕末維新期人物旧跡]]。 |
== 歴史 == | == 歴史 == |
2019年3月18日 (月) 時点における最新版
皇軍神社は鹿児島県鹿児島市にあった神社。祭神は武甕槌神、経津主神、楠正成、島津忠久、島津忠良、島津貴久、島津義久、島津義弘、島津斉興、島津斉彬。領主奉斎神社。幕末維新期人物旧跡。
歴史
1870年(明治3年)11月、鹿児島藩知政所が「御軍神社」の創建を命じ、「皇軍神社」と社号を改め、12月10日、軍務局の隣に鎮座した(『鹿児島県史』に「三年十一月知政所の達を以て、御軍神社の改造に当り、改めて武甕槌神、経津主神、楠正成及び島津家の忠久・忠良・貴久・義久・義弘・斉興・斉彬の十座を祭神として皇軍神社と社号を改め、翌十二月十日に御遷座祭を執行し、新たに軍務局隣に遷したのである」[1]とある)。
祭神のうち、楠正成は石谷村(鹿児島市石谷町)にあった有馬新七創建の楠公社を遷座合祀したものという。正成像は1877年(明治10年)に宮之城に遷座した(鹿児島・楠木神社)。
1898年(明治31年)時点には練兵場に現存していたらしいが祭神が変わっている(同年の『薩隅日地理纂考』に「皇軍神社 奉祀 武甕槌命、経津主命、倭建命 此他の数坐略す。諸所に遷坐ありて今城下練兵所の中に在り。島津斎興新建す。祭日二月十一月初申日とす」[2]とある)。
その後の沿革は明らかではない。