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一代一度仁王会関連旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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[[後深草天皇]]の1252年(建長4年)6月が最後。 | [[後深草天皇]]の1252年(建長4年)6月が最後。 | ||
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+ | 延喜式によると、宮中の諸殿省寮に100の高座を設け、朝夕2回行う。 | ||
+ | あるいは近京諸寺と畿内国分寺、あるいは全国の国分寺で行うとする。斎日は遠近共に同日に行うか、符が届き装束終わるまでを期限とした(?)という。 | ||
+ | 七高僧として講師、読師、呪願、三礼、唄、散華、維那と、一沙弥を招き、堂童子4人(六位以下が並ぶ)、仏供養前2人(大極殿・紫宸殿・後宮院では五位の王が並ぶ。その他では六位の王が並ぶ。諸司では主典が並ぶ)、講読師と衆僧前は4人または2人(大極殿講師前は五位の王2人、六位以下官人2人、読師と衆僧前はおのおの五位2人、六位以下2人。その他は五位2人、六位以下2人)を置く。 | ||
[[大極殿]]の正面に釈迦像や菩薩羅漢像を奉安し、周囲に五大力菩薩画像をかけ仁王経と供物を置く。 | [[大極殿]]の正面に釈迦像や菩薩羅漢像を奉安し、周囲に五大力菩薩画像をかけ仁王経と供物を置く。 | ||
- | + | 当日は殺生禁断とする。 | |
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+ | 延喜式によると | ||
+ | 行事司を設置して中納言1人、参議1人、少弁以上1人、五位2人、六位以下(定員不定)を置く。京官や在京の諸国司の官人にも命じる。 | ||
+ | 堂、僧房の設営、出納、大炊、供養などを管轄する。 | ||
+ | ==実施記録== | ||
+ | *729年(天平1年)6月1日、初例とも。 | ||
+ | *750年(天平勝宝2年)、孝謙天皇即位で実施。初例とも。 | ||
+ | *860年(貞観2年)平安京内に31所、都外に69所の座を設けて行われた。 | ||
+ | *947年(天暦1年)3月8日に実施。『日本紀略』 | ||
+ | *986年(寛和2年)5月には大極殿、[[紫宸殿]]、[[清涼殿]]など京都中に32所の高座を設け、畿内諸国の諸寺で行った。『本朝世紀』 | ||
+ | *1252年(建長4年)6月、後深草天皇即位に際して実施。以後、断絶。 | ||
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===古典籍=== | ===古典籍=== | ||
『延喜式』の「図書寮」「玄蕃寮」に詳しい記述がある。 | 『延喜式』の「図書寮」「玄蕃寮」に詳しい記述がある。 |
2019年11月19日 (火) 時点における版
一代一度仁王会。大仁王会。践祚仁王会。一代一講仁王会。
孝謙天皇の750年(天平勝宝2年)が初見。奈良時代には即位以外にも仁王会がたびたび行われ、仁王会司(仁王会所)という役所が置かれていた。 『初例抄』には「一代一度仁王会」は729年(天平1年)6月1日に始まるという。 後深草天皇の1252年(建長4年)6月が最後。
目次 |
祭場
延喜式によると、宮中の諸殿省寮に100の高座を設け、朝夕2回行う。 あるいは近京諸寺と畿内国分寺、あるいは全国の国分寺で行うとする。斎日は遠近共に同日に行うか、符が届き装束終わるまでを期限とした(?)という。 七高僧として講師、読師、呪願、三礼、唄、散華、維那と、一沙弥を招き、堂童子4人(六位以下が並ぶ)、仏供養前2人(大極殿・紫宸殿・後宮院では五位の王が並ぶ。その他では六位の王が並ぶ。諸司では主典が並ぶ)、講読師と衆僧前は4人または2人(大極殿講師前は五位の王2人、六位以下官人2人、読師と衆僧前はおのおの五位2人、六位以下2人。その他は五位2人、六位以下2人)を置く。
大極殿の正面に釈迦像や菩薩羅漢像を奉安し、周囲に五大力菩薩画像をかけ仁王経と供物を置く。
当日は殺生禁断とする。
運営
延喜式によると 行事司を設置して中納言1人、参議1人、少弁以上1人、五位2人、六位以下(定員不定)を置く。京官や在京の諸国司の官人にも命じる。 堂、僧房の設営、出納、大炊、供養などを管轄する。
実施記録
- 729年(天平1年)6月1日、初例とも。
- 750年(天平勝宝2年)、孝謙天皇即位で実施。初例とも。
- 860年(貞観2年)平安京内に31所、都外に69所の座を設けて行われた。
- 947年(天暦1年)3月8日に実施。『日本紀略』
- 986年(寛和2年)5月には大極殿、紫宸殿、清涼殿など京都中に32所の高座を設け、畿内諸国の諸寺で行った。『本朝世紀』
- 1252年(建長4年)6月、後深草天皇即位に際して実施。以後、断絶。
資料
古典籍
『延喜式』の「図書寮」「玄蕃寮」に詳しい記述がある。
文献
- 小野玄妙1915「仁王会の話(上)」仏書研究5