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大坂本願寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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+ | *御影堂 | ||
+ | *興正寺 | ||
+ | *子院多数 | ||
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2020年3月28日 (土) 時点における版
石山本願寺 いしやま ほんがんじ | |
概要 | |
奉斎 | |
所在地 | |
所在地(旧国郡) | |
格式など | |
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目次 |
概要
大坂本願寺(おおさか・ほんがんじ)は、摂津国大坂にあった時の本願寺。蓮如が創建した坊舎が起源。第10代証如、第11代顕如の時代に御影が遷されて本願寺となり、約50年使われた。 現在の大阪城跡の周辺にあった。11年にわたる石山合戦の戦場となり、多数の出城や砦を擁した。石山本願寺。本願寺遷座旧跡も参照。遺構はほとんど見つかっていない。 隣接して生国魂神社やその神宮寺の法案寺、本願寺に臣従していた大坂興正寺があった。
歴史
蓮如時代
明応5年(1496)11月、蓮如が「一字の坊舎」を建てる。没後、実賢が住する。
御坊時代
実如の隠居所となる。
本願寺時代
天文元年6月、証如が入る。山科本願寺の焼失を受けて、天文2年7月、御影が遷座。 天文7年(1539)証如、山科帰還を断念。 天文11年11月、阿弥陀堂竣工。二堂が並ぶ。
遺跡の顕彰と調査
跡地は豊臣家の大坂城、徳川家の大坂城となった。
大阪城蓮如名号碑が建てられた。
境内・関連旧跡
画像
参考文献