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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

大坂本願寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年3月30日 (木)

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石山本願寺
いしやま ほんがんじ
Ishiyama-honganji (1).jpg
概要
奉斎
所在地
所在地(旧国郡)
格式など
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目次

概要

大坂本願寺(おおさか・ほんがんじ)は、摂津国大坂にあった時の本願寺蓮如が創建した坊舎が起源。第10代証如、第11代顕如の時代に御影が遷されて本願寺となり、約50年使われた。 現在の大阪城跡の周辺にあった。11年にわたる石山合戦の戦場となり、多数の出城や砦を擁した。石山本願寺本願寺遷座旧跡も参照。遺構はほとんど見つかっていない。 隣接して生国魂神社やその神宮寺の法案寺、本願寺に臣従していた大坂興正寺があった。

歴史

蓮如時代

明応5年(1496)11月、蓮如が「一字の坊舎」を建てる。没後、実賢が住する。

御坊時代

実如の隠居所となる。


本願寺時代

天文元年6月、証如が入る。山科本願寺の焼失を受けて、天文2年7月、御影が遷座。 天文7年(1539)証如、山科帰還を断念。 天文11年11月、阿弥陀堂竣工。二堂が並ぶ。


遺跡の顕彰と調査

跡地は豊臣家の大坂城、徳川家の大坂城となった。

境内

画像

参考文献


脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E6%9C%AC%E9%A1%98%E5%AF%BA」より作成

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