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覚園寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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かつては長老とも。 | かつては長老とも。 | ||
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*2大燈源智()<>:泉涌寺9世。境内に墓の宝篋印塔がある。 | *2大燈源智()<>:泉涌寺9世。境内に墓の宝篋印塔がある。 | ||
*3暉山鑑恵 | *3暉山鑑恵 |
2020年7月21日 (火) 時点における版
覚園寺(かくおんじ)は、神奈川県鎌倉市二階堂にある真言宗寺院。真言宗泉涌寺派。真言院と号す。山号は鷲峰山。
目次 |
歴史
大倉薬師堂が前身。薬師堂ケ谷の地名はこれに由来する。 1218年(建保6年)、執権北条義時は霊夢に感じて大倉の地に薬師堂を建立。 7月に起工し、12月2日に落慶供養。新御堂とも呼ばれた。 1242年(仁治3年)、1251年(建長3年)に焼失。 1263年(弘長3年)北条時宗が修復。
1296年(永仁4年)、執権北条貞時が心慧智海を開山に迎えて寺院としての体裁を整えた。 泉涌寺系の真言・律・禅・浄土の四宗兼学の寺院となった。
1333年(元弘3年/正慶2年)12月21日、後醍醐天皇が勅願寺とする。 1337年(延元2年/建武4年)火災。 1354年(正平9年/文和3年)修復。現在の堂宇はこのときのものか。足利尊氏自署の梁牌銘が残る。
1439年(永享11年)火災。大楽寺が類焼。
1689年(元禄2年)仏殿改修。 1830年(天保1年)庫院焼失。この頃には無住となっていた。 1843年(天保14年)渋谷勝明という人物が発願して修復。
1905年(明治38年)、旧大楽寺本堂を蓮華院跡に移築して愛染堂とする。1928年(昭和3年)現在の場所に移築。
1953年(昭和28年)薬師堂修復。
伽藍
現在
- 薬師堂:仏殿
- 地蔵堂:
- 愛染堂:旧大楽寺本堂を移築改造したもの。
- 千体堂:小地蔵堂
- 庫裏:
- 百八やぐら
子院
全て廃絶。
- 五峰寺:
- 大楽寺:
- 平等寺:
- 一心坊:
- 大悲院:
- 泉龍院:
- 光明院:
- 蓮華院:
組織
住職
かつては長老とも。