ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
与田寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
(版間での差分)
(739) |
|||
18行: | 18行: | ||
明治になって与田寺と改称した。 | 明治になって与田寺と改称した。 | ||
(日本歴史地名大系) | (日本歴史地名大系) | ||
+ | |||
+ | ==境内== | ||
+ | *本堂:1733年(享保18年)再建。 | ||
+ | *護摩堂:本尊は清水観音、不動明王、地蔵菩薩など。元禄年間再建。 | ||
+ | *仁王門:1634年(寛永11年)再建。 | ||
+ | *鐘楼門:1634年(寛永11年)再建。 | ||
+ | |||
+ | |||
+ | |||
[[Category:香川県]] | [[Category:香川県]] |
2021年7月3日 (土) 時点における版
与田寺(よだじ)は、香川県東かがわ市中筋(讃岐国大内郡)にある薬師信仰の真言宗寺院。本尊は薬師如来。真言宗善通寺派。四国八十八所霊場の総奥之院を称す。虚空蔵院と号す。與田寺。山号は医王山。
歴史
『与田寺旧記』によると739年(天平11年)、行基の創建で医王山薬師寺と称したという。 空海が真言宗に改め勅願所とし、嵯峨天皇が200町の寺田を賜ったという。 河内の誉田八幡宮を勧請して鎮守とし神宮寺と改称したとも、讃岐・水主神社の別当になったともいう。 鎌倉時代には讃岐七談義所の一つとなった。 戦乱で荒廃するが、室町時代、増吽が復興。後小松天皇の勅で虚空蔵院と改称した。盛んに写経活動を行った。 増吽は熊野信仰に篤く、応永年間の熊野速玉大社の再建に尽力し、水主三山に熊野三山を勧請した。 また小豆島の吉祥寺、直島の極楽寺、備前・蓮台寺なども復興したという。覚城院にも住した。玉野市の無動院で石棺に入り入定したとも。 以後、興隆して与田寺旧記によると末寺は讃岐国128寺、下野・武蔵・尾張・播磨・備前・備中・阿波の1129寺に及んだと記す。
1583年(天正11年)、長宗我部軍の兵火で焼失。 元和年間、増意が再興するが、1640年(寛永17年)焼失。 松平頼重が高松藩主となると、院主増遍が上申して1645年(正保2年)20石寄進を受ける。 1665年(寛文5年)、仁和寺の直末となる。 高松藩主の命で五大虚空蔵護摩を行った。以後、再び隆昌する。 明治になって与田寺と改称した。 (日本歴史地名大系)
境内
- 本堂:1733年(享保18年)再建。
- 護摩堂:本尊は清水観音、不動明王、地蔵菩薩など。元禄年間再建。
- 仁王門:1634年(寛永11年)再建。
- 鐘楼門:1634年(寛永11年)再建。