ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
真言院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
(版間での差分)
(?歴史) |
(?歴史) |
||
6行: | 6行: | ||
[[file:『御修法の起源及沿革』・後七日御修法・真言院平面図2.jpg|後七日御修法・真言院平面図(覚禅抄)|thumb|350px]] | [[file:『御修法の起源及沿革』・後七日御修法・真言院平面図2.jpg|後七日御修法・真言院平面図(覚禅抄)|thumb|350px]] | ||
[[空海]]が後七日御修法の道場として創建。唐の内道場にならって設けたという。834年(承和1年)12月、勅許を得て翌835年(承和2年)1月8日に初めて御修法を行った。勘解由使庁を改造して密教道場とした。1353年(正平8年/文和2年)に廃滅。以後、後七日御修法は紫宸殿を道場とした。 | [[空海]]が後七日御修法の道場として創建。唐の内道場にならって設けたという。834年(承和1年)12月、勅許を得て翌835年(承和2年)1月8日に初めて御修法を行った。勘解由使庁を改造して密教道場とした。1353年(正平8年/文和2年)に廃滅。以後、後七日御修法は紫宸殿を道場とした。 | ||
- | |||
後七日御修法以外にも孔雀経法など様々な法会が行われたらしい。 | 後七日御修法以外にも孔雀経法など様々な法会が行われたらしい。 | ||
毎月晦日には「御念誦」が行われた。 | 毎月晦日には「御念誦」が行われた。 | ||
+ | <gallery widths="200" heights="150" perrow="3"> | ||
+ | |||
+ | file:0CCBAC90-BCF8-4026-8ED1-EFB4692137E5.jpeg|真言院跡周辺 | ||
+ | file:E475392E-FF53-4074-86D4-D1E2E21FC1C4.jpeg|真言院跡周辺 | ||
+ | file:30B19B7A-4356-431D-835D-6BC9AB3711ED.jpeg|宴の松原跡 | ||
+ | file:0B8AF43E-AB5A-49A2-94A5-1168999B53CF.jpeg|宴の松原跡 | ||
+ | file:523387BA-DED2-42A2-9B48-9DFAB71EA191.jpeg|宴の松原跡 | ||
+ | </gallery> | ||
+ | |||
==御念誦== | ==御念誦== | ||
晦日御念誦。大の月には28日、29日、30日の3カ日に修す | 晦日御念誦。大の月には28日、29日、30日の3カ日に修す |
2021年10月19日 (火) 時点における版
真言院(しんごんいん)は、平安京平安宮にあった密教道場。内道場。後七日御修法の道場だった。廃絶。宮中真言院。 (参考:同名寺院真言院_(同名))
目次 |
歴史
空海が後七日御修法の道場として創建。唐の内道場にならって設けたという。834年(承和1年)12月、勅許を得て翌835年(承和2年)1月8日に初めて御修法を行った。勘解由使庁を改造して密教道場とした。1353年(正平8年/文和2年)に廃滅。以後、後七日御修法は紫宸殿を道場とした。 後七日御修法以外にも孔雀経法など様々な法会が行われたらしい。 毎月晦日には「御念誦」が行われた。
御念誦
晦日御念誦。大の月には28日、29日、30日の3カ日に修す 小の月には27日、28日、30日の3カ日に修す。 (『御修法の起源及沿革』)
資料
文献
- 鶴浩一「平安時代の宮中真言院について」[1]
- 平岡定海「宮中真言院の成立について」
- 藤井恵介「真言密教における修法灌頂空間の成立」密教大系11