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久遠寿量院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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鎌倉将軍の持仏堂として[[源頼朝]]の時代から設けられていたらしい。1195年10月に新造。1236年3月に移築されて久遠寿量院と呼ぶようになった。 | 鎌倉将軍の持仏堂として[[源頼朝]]の時代から設けられていたらしい。1195年10月に新造。1236年3月に移築されて久遠寿量院と呼ぶようになった。 | ||
1245年、4代将軍藤原頼経が久遠寿量院で出家した。 | 1245年、4代将軍藤原頼経が久遠寿量院で出家した。 | ||
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+ | *櫛田良洪1963「久遠壽量院のこと : 東寺宝菩提院古文書調査報告に代へて」『大正大学学報』21 | ||
+ | *八幡義信1995「久遠寿量院について」『政治経済史学』344 | ||
+ | *三浦龍昭2000「久遠寿量院別当職について」『鴨台史学』1 | ||
+ | *平雅行2009「鎌倉中期における鎌倉真言派の僧侶」[http://hdl.handle.net/11094/8509] | ||
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2022年1月15日 (土) 時点における版
目次 |
歴史
鎌倉将軍の持仏堂として源頼朝の時代から設けられていたらしい。1195年10月に新造。1236年3月に移築されて久遠寿量院と呼ぶようになった。 1245年、4代将軍藤原頼経が久遠寿量院で出家した。
組織
別当
- 良瑜(1204-1267)<>:九条良輔の子。真言宗。安祥寺僧正。
- 成源()<>:天台宗山門派。
- 定豪(1152-1238)<>:真言宗。鶴岡別当。
- 定親(1203-1266)<>:三論宗。鶴岡別当。東大寺別当。東大寺大勧進。東寺長者。
- 教雅(生没年不詳)<>:真言宗。鶴岡別当。定雅。
- 能厳()<>:
資料
- 櫛田良洪1963「久遠壽量院のこと : 東寺宝菩提院古文書調査報告に代へて」『大正大学学報』21
- 八幡義信1995「久遠寿量院について」『政治経済史学』344
- 三浦龍昭2000「久遠寿量院別当職について」『鴨台史学』1
- 平雅行2009「鎌倉中期における鎌倉真言派の僧侶」[1]