ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
西京極・長福寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
(版間での差分)
1行: | 1行: | ||
- | '''長福寺'''(ちょうふくじ)は京都府京都市右京区西京極中町にある[[慈雲]]ゆかりの[[真言宗]]・[[律宗]]寺院。本尊は[[ | + | '''長福寺'''(ちょうふくじ)は京都府京都市右京区西京極中町にある[[慈雲]]ゆかりの[[真言宗]]・[[律宗]]寺院。本尊は[[清凉寺如来]]。[[真言宗泉涌寺派]]。[[桃園天皇]]女御の恭礼門院富子が慈雲に帰依して尼僧坊として、また桃園天皇と貞行親王の菩提寺として創建。(参考:同名寺院[[長福寺]]) |
==歴史== | ==歴史== | ||
5行: | 5行: | ||
前年から慧琳尼と皓月尼を住まわせて改築を進めていた。 | 前年から慧琳尼と皓月尼を住まわせて改築を進めていた。 | ||
+ | 一説に[[尼門跡]]。 | ||
2022年2月27日 (日) 時点における版
長福寺(ちょうふくじ)は京都府京都市右京区西京極中町にある慈雲ゆかりの真言宗・律宗寺院。本尊は清凉寺如来。真言宗泉涌寺派。桃園天皇女御の恭礼門院富子が慈雲に帰依して尼僧坊として、また桃園天皇と貞行親王の菩提寺として創建。(参考:同名寺院長福寺)
歴史
1783年(天明3年)4月8日、慈雲を導師として入仏法要を行う。 前年から慧琳尼と皓月尼を住まわせて改築を進めていた。
一説に尼門跡。
未見:「近世中期京都における尼寺の成立と尼僧の存在形態 : 山城国葛野郡川勝寺村長福寺を事例に」[1]