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門跡寺院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年8月5日 (月)
(尼門跡から転送)
目次 |
概要
門跡(もんぜき)は、皇族や貴族が住職を務める、国家的に重要な地位が認められた寺院。
付属する寺院を院家と言った。
尼門跡は近代以降の呼称で、かつては比丘尼御所と呼んだ。 皇族墓地も参照。
歴史
古代
中世
- 後柏原天皇は1500年(明応9年)に即位したが、朝廷の資金難から即位後20年を経ても即位礼を開けなかった。内大臣三条実隆が本願寺実如に相談。本願寺が門徒に喜捨を募り、10000貫を持って1521年(大永1年)3月、即位礼を営んだ。この功績により本願寺は門跡となったという。
- 1563年(永禄6年)、本圀寺が将軍足利義輝の計らいで門跡寺院への指定を狙ったが延暦寺の反対で頓挫した。
近世
近代
門跡寺院一覧
近世近代
- 凡例
- 順序は仮のものである。ただし尼門跡は『国史大辞典』に基づき、近世の順序で1~15まで並んでいる。
- 「名称」は現在名に基づく。
- 「宗派」は近世近代のもの。
- 「所在地」は現在地。
- 「家名」は、明治期に門跡当主が皇族・華族として一家を建てたときの家名である。
- 備考
- 輪王寺は同一の門跡が、日光と上野の両寺(あるいは滋賀院も)を務めたが、明治以降はそれぞれ独立の寺院となったので、二つの称号が認められた。なお現在、日光山は「輪王寺」を称しているが、江戸時代は満願寺という名称であったらしい。
- 滋賀院が門跡となったのは明治の制度による。比叡山延暦寺を代表してのことと思われる。『宗教制度調査資料』にも新たに門跡になった寺院として明記されている。ただし、江戸時代から門跡に準ずる存在であったと考えられ、『華頂要略』にも延暦寺門跡の一つとして輪王寺と同一の扱いで載せられている。
- 照高院は山門派とされることが多いが、聖護院付属の門跡であり、寺門派であると考えられる。『華頂要略』にも三井寺門跡の一つとして記載されている。
- 梶井門跡が三千院と称したのは明治以降のことである。
- 円照寺は旧尼門跡であり、明治以降、通常であれば「御由緒寺院」になるところであるが、当時は女王が入寺していたので門跡寺院とされた。
- 禅智院は中世には尼門跡であったが、江戸時代には御所とは呼ばれたものの尼門跡ではなかった。『宗教制度調査資料』でも「旧御比丘尼御所にあらざるもの」に分類されている。
- 泉涌寺は門跡ではないが、元尼門跡寺院とともに御由緒寺院になったので、一緒に掲げた。
- 門跡関係の諸資料には記載がないが、1860年(万延1年)、誠照寺が准門跡になったという(『日本仏教基礎講座』)。
門跡
名称 | 通称 | 宗派 | 所在地 | 近世 | 近代 | 門跡沿革 | 寺領 | 家名 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
輪王寺 | 天台宗(山門派) | 東京都台東区 | 宮門跡 | 門跡寺院 | 明治18年12月9日に門跡号復旧を許可される(『皇室と寺院』241)。 | |||||
輪王寺 | 日光宮・日光門跡・嘉輪良御殿 | 天台宗(山門派) | 栃木県日光市 | 宮門跡 | 門跡寺院 | 明治18年12月9日に門跡号復旧を許可される(『皇室と寺院』241)。 | 13000 | |||
仁和寺 | 御室門跡・御室御所・御室宮 | 真言宗 | 京都府京都市 | 宮門跡 | 門跡寺院 | 明治18年5月6日に門跡号復旧を許可される(『皇室と寺院』241)。 | 1502 | 仁和寺宮・東伏見宮・小松宮(侯爵小松) | ||
大覚寺 | 嵯峨御所・嵯峨院・嵯峨殿 | 真言宗 | 京都府京都市 | 宮門跡 | 門跡寺院 | 明治18年4月30日に門跡号復旧を許可される(『皇室と寺院』241)。 | 1016 | |||
妙法院 | 新日吉門跡・広福御殿 | 天台宗(山門派) | 京都府京都市 | 宮門跡 | 門跡寺院 | 明治18年5月6日に門跡号復旧を許可される(『皇室と寺院』241)。 | 1633 | |||
聖護院 | 森御殿 | 天台宗(寺門派) | 京都府京都市 | 宮門跡 | 門跡寺院 | 明治18年5月6日に門跡号復旧を許可される(『皇室と寺院』241)。 | 1430 | 聖護院宮 | ||
照高院 | 白川御殿 | 天台宗(寺門派) | 京都府京都市 | 宮門跡 | (廃絶) | 北白川宮の東京移住に際し、廃絶。 | 1000 | 照高院宮・北白川宮(北白川) | ||
青蓮院 | 粟田御所 | 天台宗(山門派) | 京都府京都市 | 宮門跡 | 門跡寺院 | 明治18年4月30日に門跡号復旧を許可される(『皇室と寺院』241)。 | 1332 | 中川宮・賀陽宮・久邇宮(久邇) | ||
知恩院 | 華頂御殿 | 浄土宗 | 京都府京都市 | 宮門跡 | 門跡寺院 | 明治19年1月11日に門跡号復旧を許可される(『皇室と寺院』241)。 | 1080 | 知恩院宮・華頂宮(侯爵華頂) | ||
勧修寺 | 山階門跡・東山科御殿 | 真言宗 | 京都府京都市 | 宮門跡 | 門跡寺院 | 明治18年4月30日に門跡号復旧を許可される(『皇室と寺院』241)。 | 1012 | 山階宮(侯爵山階・侯爵筑波・伯爵鹿島・伯爵葛城) | ||
三千院 | 梶井殿・梶井門跡・梨本門跡・円融院門跡・常盤井 | 天台宗(山門派) | 京都府京都市 | 宮門跡 | 門跡寺院 | 明治18年4月30日に門跡号復旧を許可される(『皇室と寺院』241)。三千院と称すのは近代以降。 | 1064 | 梶井宮・梨本宮(梨本) | ||
曼殊院 | 竹内門跡・竹内御所・北野御所 | 天台宗(山門派) | 京都府京都市 | 宮門跡 | 門跡寺院 | 明治18年4月30日に門跡号復旧を許可される(『皇室と寺院』241)。 | 727 | |||
毘沙門堂 | 200px]] | 山科御殿 | 天台宗(山門派) | 京都府京都市 | 宮門跡 | 門跡寺院 | 明治18年5月6日に門跡号復旧を許可される(『皇室と寺院』241)。 | 1070 | ||
円満院 | 三井殿・平等院 | 天台宗(寺門派) | 滋賀県大津市 | 宮門跡 | 門跡寺院 | 明治18年5月6日に門跡号復旧を許可される(『皇室と寺院』241)。 | 619 | |||
滋賀院 | 天台宗(山門派) | 滋賀県大津市 | <門跡ではない> | 門跡寺院 | 明治18年5月6日に新たに門跡号を許可される(『皇室と寺院』241 『皇室と寺院』245には明治23年4月17日ともある。)。 | |||||
三宝院 | 三園御殿 | 真言宗 | 京都府京都市 | 宮門跡 | 門跡寺院 | 明治18年4月30日に門跡号復旧を許可される(『皇室と寺院』241)。 | 650(寺3998) | |||
大乗院 | 飛鳥御殿 | 法相宗 | 奈良県奈良市 | 宮門跡 | (廃絶) | 明治初期に廃絶したため、復旧しなかった。 | 914 | 男爵松園家 | ||
一乗院 | 橘御殿 | 法相宗 | 奈良県奈良市 | 宮門跡 | (廃絶) | 明治初期に廃絶したため、復旧しなかった。 | 1492 | 男爵水谷川家 | ||
実相院 | 石座御殿・岩倉法殿・石座法殿 | 天台宗(寺門派) | 京都府京都市 | 宮門跡 | 門跡寺院 | 明治18年4月30日に門跡号復旧を許可される(『皇室と寺院』241)。 | 612 | |||
随心院 | 小野門跡・万御殿 | 真言宗 | 京都府京都市 | 宮門跡 | 門跡寺院 | 明治18年5月6日に門跡号復旧を許可される(『皇室と寺院』241)。 | 612 | 男爵鶴殿家 | ||
蓮華光院 | 安井門跡・小川門跡・高倉御殿 | 真言宗 | 京都府京都市 | 准門跡 | (廃絶) | 明治初期に廃絶したため、復旧しなかった。 | 300 | |||
本願寺 | 西六条・涼風御殿 | 浄土真宗 | 京都府京都市 | 准門跡 | 門跡寺院 | 明治18年3月24日に門跡号復旧を許可される(『皇室と寺院』241)。 | 300 | 伯爵大谷家 | ||
東本願寺 | 東六条・光徳御殿 | 浄土真宗 | 京都府京都市 | 准門跡 | 門跡寺院 | 明治18年3月24日に門跡号復旧を許可される(『皇室と寺院』241)。戦後、寺院としては廃絶し、真宗本廟となった。 | 伯爵大谷家 | |||
興正寺 | 汁谷御殿 | 浄土真宗 | 京都府京都市 | 准門跡 | 門跡寺院 | 明治18年7月4日に門跡号復旧を許可される(『皇室と寺院』241)。 | 150 | 男爵華園家 | ||
仏光寺 | 仏法殿 | 浄土真宗 | 京都府京都市 | 准門跡 | 門跡寺院 | 明治18年3月30日に門跡号復旧を許可される(『皇室と寺院』241)。 | 6 | 男爵渋谷家 | ||
専修寺 | 一身田御殿 | 浄土真宗 | 三重県津市 | 准門跡 | 門跡寺院 | 明治18年3月24日に門跡号復旧を許可される(『皇室と寺院』241)。 | 350 | 男爵常磐井家 | ||
錦織寺 | 木部御殿 | 浄土真宗 | 滋賀県野洲市 | 准門跡 | 門跡寺院 | 明治18年5月19日に門跡号復旧を許可される(『皇室と寺院』241)。 | 20 | 男爵木辺家 |
尼門跡
尼五山も参照。
名称 | 通称 | 宗派 | 所在地 | 近世 | 近代 | 門跡沿革 | 寺領 | 還俗 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 大聖寺 | 御寺御所 | 臨済宗・景愛寺系 | 京都府京都市 | 宮室 | 御由緒寺院 | 明治21年に「御由緒寺院」として門跡寺院同様の待遇となった(『皇室と寺院』)。 | 452 | |
2 | 宝鏡寺 | 百々御所 | 臨済宗・景愛寺系 | 京都府京都市上京区 | 宮室 | 御由緒寺院 | 明治21年に「御由緒寺院」として門跡寺院同様の待遇となった(『皇室と寺院』)。 | 387 | |
3 | 曇華院 | 竹御所 | 臨済宗・通玄寺系 | 京都府京都市右京区 | 宮室 | 御由緒寺院 | 明治21年に「御由緒寺院」として門跡寺院同様の待遇となった(『皇室と寺院』)。 | 684 | |
4 | 光照院 | 常盤御所 | 四宗兼学⇒浄土宗 | 京都府京都市上京区 | 宮室 | 御由緒寺院 | 明治21年に「御由緒寺院」として門跡寺院同様の待遇となった(『皇室と寺院』)。 | 328 | |
5 | 霊鑑寺 | 谷御殿 | 臨済宗・後水尾系 | 京都府京都市左京区 | 宮室 | 御由緒寺院 | 明治21年に「御由緒寺院」として門跡寺院同様の待遇となった(『皇室と寺院』)。 | 120 | |
6 | 円照寺 | 山村御所 | 臨済宗・後水尾系 | 奈良県奈良市 | 宮室 | 門跡寺院 | 明治21年12月19日に門跡号復旧を許可される(『皇室と寺院』241)。ほかの旧尼門跡寺院が、「御由緒寺院」として認められたのに対し、ここのみは「門跡寺院」として許可された。 | 300 | |
7 | 林丘寺 | 音羽御所 | 臨済宗・後水尾系 | 京都府京都市左京区 | 宮室 | 御由緒寺院 | 明治21年に「御由緒寺院」として門跡寺院同様の待遇となった(『皇室と寺院』)。 | 300 | |
8 | 中宮寺 | 斑鳩御所 | 真言律宗 | 奈良県生駒郡斑鳩町 | 宮室 | 御由緒寺院 | 明治21年に「御由緒寺院」として門跡寺院同様の待遇となった(『皇室と寺院』)。 | 46 | |
9 | 慈受院 | 烏丸御所 | 臨済宗・通玄寺系 | 京都府京都市上京区 | 禅室 | 御由緒寺院 | 明治21年に「御由緒寺院」として門跡寺院同様の待遇となった(『皇室と寺院』)。 | 98 | |
10 | 三時知恩寺 | 入江御所 | 浄土宗 | 京都府京都市上京区 | 禅室 | 御由緒寺院 | 明治21年に「御由緒寺院」として門跡寺院同様の待遇となった(『皇室と寺院』)。 | 149 | |
11 | 法華寺 | 氷室御所 | 律宗 | 奈良県奈良市 | 禅室 | 御由緒寺院 | 明治21年に「御由緒寺院」として門跡寺院同様の待遇となった(『皇室と寺院』)。 | 220 | |
12 | 瑞龍寺 | 村雲御所 | 日蓮宗 | 滋賀県近江八幡市 | 禅室 | 御由緒寺院 | 明治21年に「御由緒寺院」として門跡寺院同様の待遇となった(『皇室と寺院』)。 | 500 | |
13 | 総持院 | 薄雲御所 | 臨済宗・通玄寺系 | 京都府京都市上京区 | 禅室 | 宝暦年間に加わる。慈受院に合併。明治21年に「御由緒寺院」として門跡寺院同様の待遇となった(『皇室と寺院』)。 | 74 | ||
14 | 宝慈院 | 千代御所 | 臨済宗・景愛寺系 | 京都府京都市上京区 | 禅室 | 御由緒寺院 | 宝暦年間に加わる。明治21年に「御由緒寺院」として門跡寺院同様の待遇となった(『皇室と寺院』)。 | 61 | |
15 | 本光院 | 蔵人御所・築地御所 | 天台宗・景愛寺系 | 京都府京都市上京区 | 禅室 | 御由緒寺院 | 宝暦年間に加わる。明治21年に「御由緒寺院」として門跡寺院同様の待遇となった(『皇室と寺院』)。 | 20 | |
禅智院 | (高島尼御所) | 臨済宗 | 滋賀県高島市 | <門跡ではない> | 御由緒寺院 | 明治21年に「御由緒寺院」として門跡寺院同様の待遇となった(『皇室と寺院』)。 | 120 | ||
泉涌寺 | 真言宗 | 京都府京都市東山区 | <門跡ではない> | 御由緒寺院 | 明治21年に「御由緒寺院」として門跡寺院同様の待遇となった(『皇室と寺院』)。 |
古代中世の門跡
- 東大寺東南院:三論宗。
- 安祥寺:真言宗。
- 禅林寺:真言宗。現在は浄土宗。
- 醍醐寺報恩院:真言宗。
- 醍醐寺無量寿院:真言宗。
- 正暦寺正願院?:真言宗。
- 上乗院:真言宗。
- 檀那院:天台宗山門派。延暦寺東塔東谷にあった。
- 妙香院:天台宗山門派。青蓮院門跡の三院家の一つ。
- 十楽院:天台宗山門派。青蓮院門跡の三院家の一つ。青蓮院の地にあり、青蓮院に合併したらしい。
- 上乗院:天台宗山門派。青蓮院門跡の院家。仁和寺の脇門跡や永久寺子院にも同名寺院があり混同されており実態はよく分からない。
- 本覚院:天台宗山門派。青蓮院門跡配下。
- 実乗院:天台宗山門派。青蓮院門跡配下。
- 法住寺:天台宗山門派。妙法院門跡の院家として江戸時代に復興。
- 日厳院:天台宗山門派。妙法院門跡の院家。
- 京都・浄土寺:天台宗山門派。円珍の創建だが、山門派とみなした。
- 園城寺常住院:天台宗寺門派。
- 園城寺平等院:天台宗寺門派。
- 如意寺:天台宗寺門派。園城寺別院。
- 園城寺南瀧院:天台宗寺門派。実相院門跡配下。
『華頂要略』では近世までに廃絶した門跡として上乗院、安祥寺、禅林寺、東南院、十楽院、妙香院、本覚院、浄土寺、檀那院、実乗院、平等院、法住寺、常住院、如意寺を挙げる。
古代中世の尼門跡
- 摂取院:京都嵯峨。京都・恵林寺の東南にあったという(国史大辞典)。永陽門院が創建。足利義満の娘が入寺。のち大聖寺に属すか。浄土宗。野宮殿。
- 仁和寺十地院:京都仁和寺鳴滝にあった。延明門院が創建。花園天皇皇女が入寺。智観女王。浄土宗。鳴滝殿。
- 大慈光院:岡殿。
- 大慈院:現在の宝鏡寺のあたり。南御所。
- 柳殿:
- 近江・智恩寺:坂本。
- 直乗寺:景愛寺の末寺?真乗寺?
- 保安寺:景愛寺の末寺
- 妙厳院:大阪府大阪市天王寺区。跡地不明。
- 大祥院:
- 安禅寺:京都府京都市上京区土御門町。のち二階町、のち寺町北之辺町に移転。明治22年廃絶。景愛寺の末寺。
- 禅智院:滋賀県高島市。
- 陽寧院:景愛寺の末寺。梅津にあった。応仁の乱で焼失して廃絶か。
- 継孝院:景愛寺の末寺。
- 恵聖院(瑞華院):現在の宝鏡寺のあたりにあったが、戦後、光照院に移転。
- 光聚院:景愛寺の末寺。
- 養林庵:
- 蓮華清浄寺:今林殿。
- 真乗寺
- 西京極・長福寺:一説に近世の尼門跡
院家寺院
その他
史料・文献
- 『皇室と寺院』
- 『宗教制度調査資料』
- 『国史大辞典』
- 『雲上明覧大全』
- 「諸門跡伝―真言―仁和寺・大覚寺・勧修寺・三宝院・随心院・蓮華光院、附報恩院・理性院・金剛王院・無量寿院」『華頂要略』140[1]
- 「諸門跡伝―円融坊・青蓮院・妙法院」『華頂要略』141[2]
- 「諸門跡伝―毘沙門堂・曼殊院・滋賀院」『華頂要略』142[3]
- 「諸門跡伝―円満院・聖護院・実相院・照高院」『華頂要略』143[4]
- 「諸門跡伝―一乗院・大乗院、附知恩院・比丘尼寺」『華頂要略』144[5]
- 「諸門跡伝―中絶―上乗院・安祥寺・禅林寺・東南院・喜多院・十楽院・妙香院・本覚院・浄土寺・檀那院・実乗院・平等院・法住寺・常住院・如意寺」『華頂要略』145[6][[7]
尼門跡
- 大塚実忠編1967~1969「史料紹介 比丘尼御所歴代1~4」(『日本仏教』26-28、31)
- 松薗斉2012「看聞日記に見える尼と尼寺」[8]
- 木原弘美2001「天王寺妙厳院御比丘尼御所 : 中世大坂の寺院史についての試み」[9]
- 加藤岡知恵子2005「室町時代比丘尼御所入室と室町殿免許について: 伏見宮家姫宮と入室尼寺をめぐって」[10]
- リー・ニコレット2013「近世日本の尼寺:「駆け込み寺」 東慶寺と 「比丘尼御所」 制度」[11]
- 岡佳子2000「近世の比丘尼御所 (上)宝鏡寺を中心に」『仏教史学研究』42(2)
- 岡佳子2002「近世の比丘尼御所 (下)宝鏡寺を中心に」『仏教史学研究』44(2)
- 岡佳子2008科学研究費補助金研究成果報告書「日本の宗教とジェンダーに関する国際総合研究―尼寺調査の成果を基礎として」[12]
- 榎原雅治 2011「南朝系比丘尼御所保安寺について:世良親王の遺領に関する一考察」『国史学』203