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天理教教会本部教祖殿
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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'''天理教教会本部教祖殿'''は、奈良県天理市の[[天理教教会本部]]にある、開祖[[中山みき]]を祀る霊殿。[[天理教教会本部神殿|教会本部神殿]]に付属し、神殿や[[天理教教会本部祖霊殿|祖霊殿]]と廻廊でつながっている。中山みきは'''教祖'''(おやさま)と呼ばれ、'''存命の理'''により、現在も生きているとされる。 | '''天理教教会本部教祖殿'''は、奈良県天理市の[[天理教教会本部]]にある、開祖[[中山みき]]を祀る霊殿。[[天理教教会本部神殿|教会本部神殿]]に付属し、神殿や[[天理教教会本部祖霊殿|祖霊殿]]と廻廊でつながっている。中山みきは'''教祖'''(おやさま)と呼ばれ、'''存命の理'''により、現在も生きているとされる。 | ||
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中山みきは永久に元のやしきに住んでいるとされる。 | 中山みきは永久に元のやしきに住んでいるとされる。 | ||
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+ | File:天理教教会本部・教祖殿・側面図・1914年(大正3年)天理教地場案内.jpg|大正教祖殿 | ||
+ | File:天理教教会本部・教祖殿・平面図・1914年(大正3年)天理教地場案内.jpg|大正教祖殿 | ||
+ | File:天理教教会本部・教祖殿・1934年(昭和9年)天理教綱要昭和9年版.jpg|昭和教祖殿 | ||
+ | File:天理教教会本部・教祖殿・航空写真・1936年(昭和11年)昭和普請.jpg|昭和教祖殿 | ||
+ | File:天理教教会本部・教祖殿・側面図・1932年(昭和7年)天理教綱要昭和7年.jpg|昭和教祖殿 | ||
+ | File:天理教教会本部・教祖殿1・1936年(昭和11年)昭和普請.jpg| | ||
+ | File:天理教教会本部・教祖殿1アップ・1936年(昭和11年)昭和普請.jpg| | ||
+ | File:天理教教会本部・教祖殿2・1936年(昭和11年)昭和普請.jpg| | ||
+ | File:天理教教会本部・教祖殿付属家・1936年(昭和11年)昭和普請.jpg| | ||
+ | File:天理教教会本部・教祖殿3・1936年(昭和11年)昭和普請.jpg|教祖殿内部 | ||
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2022年12月11日 (日) 時点における版
天理教教会本部教祖殿は、奈良県天理市の天理教教会本部にある、開祖中山みきを祀る霊殿。教会本部神殿に付属し、神殿や祖霊殿と廻廊でつながっている。中山みきは教祖(おやさま)と呼ばれ、存命の理により、現在も生きているとされる。
奥から教祖殿、合殿、御用場に分かれる。
おさづけ、事情のおはこび、安産守護のをびや許しなどの祈願儀礼が行われる。
中山みきは、明治20年(1887)1月26日に90歳で死去。天理教では、これを死んだとは見なさず、「現身(うつしみ)をおかくしになった」と表現する。 本来、105歳の定命だったが、25年縮めて世界たすけに働いているとされる。死去の日に飯降伊蔵にくだったおさしづに「子供可愛い故、をやの命を二十五年の命を縮めて、今からたすけするのやで」とある。 中山みきは永久に元のやしきに住んでいるとされる。