|
ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
加賀・弘願寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年9月25日 (木)
(版間での差分)
| 1行: | 1行: | ||
| - | '''弘願寺''' | + | '''弘願寺'''は石川県河北郡津幡町加賀爪(加賀国加賀郡)にある[[浄土真宗]]寺院。元は同郡鳥越にあり、[[一向一揆]]の中核的寺院の一つだった。移転後もしばらくは'''鳥越弘願寺'''と呼ばれた。'''津幡弘願寺'''。[[浄土真宗東本願寺派]]。山号は鳥越山。 |
(参考:同名寺院[[弘願寺]]) | (参考:同名寺院[[弘願寺]]) | ||
| + | ==歴史== | ||
| + | *1350年:[[本願寺]]一族の玄頓が創建。元は加賀国河北郡(加賀郡)鳥越村(石川県河北郡津幡町鳥越)にあった。現在の大国主神社のあたりに土塁や堀の遺構が残っている。 | ||
| + | *1488年:長享の一向一揆 | ||
| + | *1526年:冷泉為広が七尾で客死。縁戚の弘願寺のある津幡に埋葬されたという。 | ||
| + | *1580年:柴田勝家軍に焼き討ちされる。鳥越城も落城。 | ||
| + | *1584年:佐々成政に追われて能登国羽咋郡堀松(石川県羽咋郡志賀町堀松)に移転。 | ||
| + | *慶長年間:金沢移転。 | ||
| + | *1606年2月8日:[[東本願寺]][[教如]]から顕如絵像を下付される | ||
| + | [https://dl.ndl.go.jp/pid/4418236/1/19?keyword=弘願寺%E3%80%80教如]。 | ||
| + | *1609年:現在地に移転 | ||
| + | *1611年9月17日:[[前田家]]]より制札下付[1685年「寺社由緒書上」[https://dl.ndl.go.jp/pid/4431137/1/55?keyword=玄頓]] | ||
| + | *1753年(宝暦3年)4月26日:弘願寺玄証(玄澄か)、冷泉家を訪問[https://dl.ndl.go.jp/pid/9538398/1/208?keyword=弘願寺]。猶子となることを約束。 | ||
| + | *1766年4月23日:冷泉為村、冷泉為広碑を津幡に建立[https://dl.ndl.go.jp/pid/9538398/1/206?keyword=弘願寺]。 | ||
| + | *1878年:明治天皇が北陸巡幸で滞在[https://dl.ndl.go.jp/pid/13224533/1/39?keyword=弘願寺%E3%80%80津幡]。 | ||
| + | *1884年:火災 | ||
| + | *戦後:[[真宗大谷派]]を離脱。 | ||
| - | |||
| - | |||
| - | + | ==組織== | |
| + | ===歴代=== | ||
| + | *1玄頓(生没年不詳)<>:本願寺4世の善如(1333-1389、覚如の孫)の末弟(つまり従覚の子)とも、本願寺3世の覚如(1270-1351)の子ともいう。1541年『日野一流系図』[https://dl.ndl.go.jp/pid/9541131/1/190?keyword=玄頓]に「善如上人末弟云々、不慥義也」とある。1685年「寺社由緒書上」[https://dl.ndl.go.jp/pid/4431137/1/55?keyword=玄頓]では「覚如上人之真弟」と記す(真弟とは実子たる弟子のこと)。『三州志』[https://dl.ndl.go.jp/pid/993828/1/107?keyword=弘願寺%E3%80%80玄頓]でも「本願寺覚如の直弟」とあり、この見解が引き継がれる。1350年、弘願寺創建という。某年3月18日死去、83歳。 | ||
| + | *2玄教(1417-1469)<>:弘願寺2世。加賀国河北郡鳥越に住す。1469年(文明1年)6月15日死去、53歳。(『日野一流系図』) | ||
| + | *3玄昭(1399-1471)<>:弘願寺3世。1471年(文明3年)12月21日死去、73歳。玄照とも。(『日野一流系図』) | ||
| + | *4玄乗(1473-1496)<>:弘願寺4世。玄昭の長男。1496年(明応5年)1月4日死去、24歳。玄秀に改名したとも。兵部脚と号す。(『日野一流系図』) | ||
| + | *5玄慶(1425-1469)<>:弘願寺5世。玄昭の次男。1469年(文明1年)11月1日死去、45歳。太夫と号す。(『日野一流系図』) | ||
| + | *6蓮慶(生没年不詳)<>:弘願寺6世。玄慶の長男。妾は妙祐(1474-1522)。妙祐は[[証誠寺]]住職だったという上鉤坊兼慶[https://dl.ndl.go.jp/pid/2965593/1/88?keyword=兼慶]の次女。(『日野一流系図』) | ||
| + | *7明勝(生没年不詳)<>:弘願寺7世。蓮慶の長男。母は兼慶の娘。室は玄寿の娘([[蓮如]]の玄孫)あるいは冷泉明融の娘[https://dl.ndl.go.jp/pid/13183693/1/70?keyword=弘願寺%E3%80%80明融]。1532年隠居して真証寺を開いたという[https://dl.ndl.go.jp/pid/12221555/1/247?keyword=弘願寺]。少輔と号す。(『日野一流系図』) | ||
| + | *8明誓(生没年不詳)<>:弘願寺8世。1570年8月3日、証如御影を賜る(弘願寺文書) | ||
| + | *9明龍(生没年不詳)<?-1631?>:弘願寺9世。1631年2月28日、宮内卿に譲る(弘願寺文書)。 | ||
| + | *10明透(生没年不詳)<>:弘願寺10世。 | ||
| + | *11従英(生没年不詳)<>:弘願寺11世。この後、系統断絶したという。(諸家分脈系図) | ||
| + | *12玄乗(生没年不詳)<>:弘願寺12世。1652年(慶安5年)得度し、余間となり、1656年(明暦2年)7月19日素絹に進む[https://dl.ndl.go.jp/pid/12273102/1/218?keyword=弘願寺]。栄弘か。聞信院と号す。(諸家分脈系図) | ||
| + | *13玄秀(1668-?)<>:弘願寺13世。幼名は延丸。1679年(延宝7年)6月12日、12歳で得度[https://dl.ndl.go.jp/pid/12273102/1/224?keyword=津幡弘願寺]。1682年(天和2年)12月27日、素絹許可[https://dl.ndl.go.jp/pid/12273102/1/188?keyword=弘願寺]。1739年(元文4年)助音に進む。華蔵院、式部卿と号す。(諸家分脈系図) | ||
| + | *14玄澄(?-1765)<>:弘願寺14世。1716年(正徳6年)得度し、1717年(享保2年)内陣となり、同年素絹に進む。1765年(明和2年)8月死去。式部卿と号す。『冷泉家之記』[https://dl.ndl.go.jp/pid/9538398/1/208?keyword=弘願寺]にある「玄証」か。(諸家分脈系図) | ||
| + | *15玄誓(生没年不詳)<>:弘願寺15世。1752年(宝暦2年)得度し、1753年(宝暦3年)内陣となり、同年素絹に進む。「二位」と号し、式部卿と号す。(諸家分脈系図) | ||
| + | *16明専(生没年不詳)<>:弘願寺16世。1768年(明和5年)得度。1776年(安永5年)玄誓の養嗣となる。宮内卿と号す。(諸家分脈系図) | ||
| + | *玄右(生没年不詳)<>: | ||
| + | *鳥越玄正(1836-?)<>:玄右の子。慶応元年時点で30歳(弘願寺文書)。 | ||
| + | *鳥越玄寿(生没年不詳)<>: | ||
| + | *鳥越洋(生没年不詳)<>: | ||
| + | *鳥越真()<>: | ||
| + | |||
| + | *1541年『日野一流系図』[https://dl.ndl.go.jp/pid/9541131/1/190?keyword=玄頓]、[https://dl.ndl.go.jp/pid/12269227/1/279?keyword=弘願寺] | ||
| + | *「別格諸寺系図(異本)」[https://dl.ndl.go.jp/pid/12269227/1/372?keyword=弘願寺] | ||
| + | *『加能真宗僧英伝』[https://dl.ndl.go.jp/pid/1040675/1/133]] | ||
| + | *『諸家分脈系図』[https://dl.ndl.go.jp/pid/2965593/1/104]] | ||
| + | *「鳥越山弘願寺家之系図」:法融寺蔵。 | ||
| + | ==資料== | ||
| + | *1685年「寺社由緒書上」[https://dl.ndl.go.jp/pid/4431137/1/55] | ||
| + | *「冷泉家之記」[https://dl.ndl.go.jp/pid/9536143/1/206] | ||
| + | *『石川県河北郡誌』「弘願寺」[https://dl.ndl.go.jp/pid/1877582/1/201] | ||
| + | *『加賀志徴』「鳥越弘願寺」[https://dl.ndl.go.jp/pid/1227858/1/291?keyword=弘願寺%E3%80%80明誓] | ||
| + | *芝田悟1986「北加賀地区城館跡調査速報(3)鳥越弘願寺跡」『石川考古』172 | ||
| + | *芝田悟1988「鳥越弘願寺跡の宝塔ー城郭寺院調査の記録(3)」『石川考古』185 | ||
| + | *北加賀地区城館跡調査団1987「鳥越弘願寺跡調査中間報告(北加賀地区城館跡調査)」[https://dl.ndl.go.jp/pid/4431137/1/46] | ||
| + | *木越祐馨1987「鳥越弘願寺文書について」[https://dl.ndl.go.jp/pid/4431137/1/58] | ||
| + | *1988『石川県城館跡分布調査報告』「鳥越弘願寺跡」[https://dl.ndl.go.jp/pid/13325039/1/44] | ||
| + | *1962『津幡町小史』「文化財」[https://dl.ndl.go.jp/pid/2998231/1/104?keyword=弘願寺]、「北加賀の一向一揆」[https://dl.ndl.go.jp/pid/2998231/1/37?keyword=弘願寺] | ||
| + | *辻貴弘2006「藤澤願得寺と鳥越弘願寺」『故郷乃研究』1 | ||
[[category:石川県]] | [[category:石川県]] | ||
2025年9月25日 (木) 時点における最新版
弘願寺は石川県河北郡津幡町加賀爪(加賀国加賀郡)にある浄土真宗寺院。元は同郡鳥越にあり、一向一揆の中核的寺院の一つだった。移転後もしばらくは鳥越弘願寺と呼ばれた。津幡弘願寺。浄土真宗東本願寺派。山号は鳥越山。 (参考:同名寺院弘願寺)
目次 |
歴史
- 1350年:本願寺一族の玄頓が創建。元は加賀国河北郡(加賀郡)鳥越村(石川県河北郡津幡町鳥越)にあった。現在の大国主神社のあたりに土塁や堀の遺構が残っている。
- 1488年:長享の一向一揆
- 1526年:冷泉為広が七尾で客死。縁戚の弘願寺のある津幡に埋葬されたという。
- 1580年:柴田勝家軍に焼き討ちされる。鳥越城も落城。
- 1584年:佐々成政に追われて能登国羽咋郡堀松(石川県羽咋郡志賀町堀松)に移転。
- 慶長年間:金沢移転。
- 1606年2月8日:東本願寺教如から顕如絵像を下付される
[1]。
- 1609年:現在地に移転
- 1611年9月17日:前田家]より制札下付[1685年「寺社由緒書上」[2]]
- 1753年(宝暦3年)4月26日:弘願寺玄証(玄澄か)、冷泉家を訪問[3]。猶子となることを約束。
- 1766年4月23日:冷泉為村、冷泉為広碑を津幡に建立[4]。
- 1878年:明治天皇が北陸巡幸で滞在[5]。
- 1884年:火災
- 戦後:真宗大谷派を離脱。
組織
歴代
- 1玄頓(生没年不詳)<>:本願寺4世の善如(1333-1389、覚如の孫)の末弟(つまり従覚の子)とも、本願寺3世の覚如(1270-1351)の子ともいう。1541年『日野一流系図』[6]に「善如上人末弟云々、不慥義也」とある。1685年「寺社由緒書上」[7]では「覚如上人之真弟」と記す(真弟とは実子たる弟子のこと)。『三州志』[8]でも「本願寺覚如の直弟」とあり、この見解が引き継がれる。1350年、弘願寺創建という。某年3月18日死去、83歳。
- 2玄教(1417-1469)<>:弘願寺2世。加賀国河北郡鳥越に住す。1469年(文明1年)6月15日死去、53歳。(『日野一流系図』)
- 3玄昭(1399-1471)<>:弘願寺3世。1471年(文明3年)12月21日死去、73歳。玄照とも。(『日野一流系図』)
- 4玄乗(1473-1496)<>:弘願寺4世。玄昭の長男。1496年(明応5年)1月4日死去、24歳。玄秀に改名したとも。兵部脚と号す。(『日野一流系図』)
- 5玄慶(1425-1469)<>:弘願寺5世。玄昭の次男。1469年(文明1年)11月1日死去、45歳。太夫と号す。(『日野一流系図』)
- 6蓮慶(生没年不詳)<>:弘願寺6世。玄慶の長男。妾は妙祐(1474-1522)。妙祐は証誠寺住職だったという上鉤坊兼慶[9]の次女。(『日野一流系図』)
- 7明勝(生没年不詳)<>:弘願寺7世。蓮慶の長男。母は兼慶の娘。室は玄寿の娘(蓮如の玄孫)あるいは冷泉明融の娘[10]。1532年隠居して真証寺を開いたという[11]。少輔と号す。(『日野一流系図』)
- 8明誓(生没年不詳)<>:弘願寺8世。1570年8月3日、証如御影を賜る(弘願寺文書)
- 9明龍(生没年不詳)<?-1631?>:弘願寺9世。1631年2月28日、宮内卿に譲る(弘願寺文書)。
- 10明透(生没年不詳)<>:弘願寺10世。
- 11従英(生没年不詳)<>:弘願寺11世。この後、系統断絶したという。(諸家分脈系図)
- 12玄乗(生没年不詳)<>:弘願寺12世。1652年(慶安5年)得度し、余間となり、1656年(明暦2年)7月19日素絹に進む[12]。栄弘か。聞信院と号す。(諸家分脈系図)
- 13玄秀(1668-?)<>:弘願寺13世。幼名は延丸。1679年(延宝7年)6月12日、12歳で得度[13]。1682年(天和2年)12月27日、素絹許可[14]。1739年(元文4年)助音に進む。華蔵院、式部卿と号す。(諸家分脈系図)
- 14玄澄(?-1765)<>:弘願寺14世。1716年(正徳6年)得度し、1717年(享保2年)内陣となり、同年素絹に進む。1765年(明和2年)8月死去。式部卿と号す。『冷泉家之記』[15]にある「玄証」か。(諸家分脈系図)
- 15玄誓(生没年不詳)<>:弘願寺15世。1752年(宝暦2年)得度し、1753年(宝暦3年)内陣となり、同年素絹に進む。「二位」と号し、式部卿と号す。(諸家分脈系図)
- 16明専(生没年不詳)<>:弘願寺16世。1768年(明和5年)得度。1776年(安永5年)玄誓の養嗣となる。宮内卿と号す。(諸家分脈系図)
- 玄右(生没年不詳)<>:
- 鳥越玄正(1836-?)<>:玄右の子。慶応元年時点で30歳(弘願寺文書)。
- 鳥越玄寿(生没年不詳)<>:
- 鳥越洋(生没年不詳)<>:
- 鳥越真()<>:
資料
- 1685年「寺社由緒書上」[21]
- 「冷泉家之記」[22]
- 『石川県河北郡誌』「弘願寺」[23]
- 『加賀志徴』「鳥越弘願寺」[24]
- 芝田悟1986「北加賀地区城館跡調査速報(3)鳥越弘願寺跡」『石川考古』172
- 芝田悟1988「鳥越弘願寺跡の宝塔ー城郭寺院調査の記録(3)」『石川考古』185
- 北加賀地区城館跡調査団1987「鳥越弘願寺跡調査中間報告(北加賀地区城館跡調査)」[25]
- 木越祐馨1987「鳥越弘願寺文書について」[26]
- 1988『石川県城館跡分布調査報告』「鳥越弘願寺跡」[27]
- 1962『津幡町小史』「文化財」[28]、「北加賀の一向一揆」[29]
- 辻貴弘2006「藤澤願得寺と鳥越弘願寺」『故郷乃研究』1