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川内多多奴比神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | '''川内多多奴比神社''' | + | '''川内多多奴比神社'''(かわち・たたぬい・じんじゃ)は兵庫県篠山市下板井(丹波国多紀郡)にある神社。祭神は[[天照皇大神]]・[[建速素盞嗚命]]・[[豊受姫大神]](国史大辞典)。[[丹波・楯縫神社]]と並んで[[大嘗祭]]に奉仕した楯縫氏の氏神という説がある。[[官社]]。郷社。別当は[[天台宗]]蓮華寺。'''川内多々奴比神社'''。 |
== 歴史 == | == 歴史 == | ||
- | + | [[崇神天皇]]の時代に四道将軍[[丹波道主命]]が創建したと伝える。古代の多紀郡河内郷に当たる。990年(正暦1年)、[[源頼光]]が太刀奉納。元弘年間焼失。1358年(正平13年/延文3年)再建。1658年(万治1年)焼失。1660年(万治3年)再建。 | |
『延喜式』「践祚大嘗祭」には[[大嘗宮]]の門に立てる楯は丹波国の楯縫氏が造ると定められている。「多多奴比」は楯縫に通じ、その楯縫氏の氏神という説がある。そのため楯縫氏の祖の彦狭知命が祭神だとする見解もある。 | 『延喜式』「践祚大嘗祭」には[[大嘗宮]]の門に立てる楯は丹波国の楯縫氏が造ると定められている。「多多奴比」は楯縫に通じ、その楯縫氏の氏神という説がある。そのため楯縫氏の祖の彦狭知命が祭神だとする見解もある。 |
2019年4月28日 (日) 時点における版
川内多多奴比神社(かわち・たたぬい・じんじゃ)は兵庫県篠山市下板井(丹波国多紀郡)にある神社。祭神は天照皇大神・建速素盞嗚命・豊受姫大神(国史大辞典)。丹波・楯縫神社と並んで大嘗祭に奉仕した楯縫氏の氏神という説がある。官社。郷社。別当は天台宗蓮華寺。川内多々奴比神社。
歴史
崇神天皇の時代に四道将軍丹波道主命が創建したと伝える。古代の多紀郡河内郷に当たる。990年(正暦1年)、源頼光が太刀奉納。元弘年間焼失。1358年(正平13年/延文3年)再建。1658年(万治1年)焼失。1660年(万治3年)再建。
『延喜式』「践祚大嘗祭」には大嘗宮の門に立てる楯は丹波国の楯縫氏が造ると定められている。「多多奴比」は楯縫に通じ、その楯縫氏の氏神という説がある。そのため楯縫氏の祖の彦狭知命が祭神だとする見解もある。
(国史大辞典、日本歴史地名大系)