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伊勢国分寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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江戸時代には伊勢国分寺跡として知られており、東海道名所図会や三国地誌に記録されている。 | 江戸時代には伊勢国分寺跡として知られており、東海道名所図会や三国地誌に記録されている。 | ||
1922年、国史跡に指定。全国の国分寺でも早いほうだという。 | 1922年、国史跡に指定。全国の国分寺でも早いほうだという。 | ||
- | + | 1988年から鈴鹿市教育委員会が考古学的発掘調査を開始。2006年までに一旦完了し、整備が行われている。 | |
== 伽藍 == | == 伽藍 == | ||
伊勢国府の東7kmにある。南には河曲郡衙跡がある。 | 伊勢国府の東7kmにある。南には河曲郡衙跡がある。 | ||
- | + | 東西178m、南北184mの築地塀に囲まれ、南門、中門、金堂、講堂、僧坊などの跡が確認されており、東西32.7m、南北20.6mの基壇が復元されている。塔跡は見つかっていない。東400mに現存寺があり、周辺から瓦が出土し、尼寺跡と考えられている。鈴鹿の現存寺から南350mのところには[[大鹿廃寺]]がある。 | |
2019年6月23日 (日) 時点における版
伊勢国分寺(いせ・こくぶんじ)は、伊勢国河曲郡(三重県鈴鹿市国分町)にあった国分寺。現存寺は鈴鹿市(伊勢国分尼寺跡そば)、亀山市、松阪市に3寺ある。
歴史
江戸時代には伊勢国分寺跡として知られており、東海道名所図会や三国地誌に記録されている。 1922年、国史跡に指定。全国の国分寺でも早いほうだという。 1988年から鈴鹿市教育委員会が考古学的発掘調査を開始。2006年までに一旦完了し、整備が行われている。
伽藍
伊勢国府の東7kmにある。南には河曲郡衙跡がある。 東西178m、南北184mの築地塀に囲まれ、南門、中門、金堂、講堂、僧坊などの跡が確認されており、東西32.7m、南北20.6mの基壇が復元されている。塔跡は見つかっていない。東400mに現存寺があり、周辺から瓦が出土し、尼寺跡と考えられている。鈴鹿の現存寺から南350mのところには大鹿廃寺がある。
(『国分寺を歩く』、2007『史跡伊勢国分寺跡整備基本計画』[1])