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福島県護国神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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'''福島県護国神社'''(ふくしまけん・ごこくじんじゃ)は、福島県福島市駒山の[[信夫山]]にある[[招魂社]]。祭神は福島県の戦没者と[[天照皇大御神]]。[[官祭招魂社]]。[[内務大臣指定護国神社]]。[[別表神社]]。県内の[[会津若松招魂社]]、[[相馬招魂社]]、[[三春招魂社]]を合祀合併し、信夫山に新たに一社を設け、成立した。[[黒沼神社]]に隣接する。社殿は護国神社様式。天照は戦後合祀した祭神で、占領中は'''大霊神社'''と称した。'''信夫山招魂社'''。'''福島招魂社'''。(参照:同名神社[[福島招魂社]]) | '''福島県護国神社'''(ふくしまけん・ごこくじんじゃ)は、福島県福島市駒山の[[信夫山]]にある[[招魂社]]。祭神は福島県の戦没者と[[天照皇大御神]]。[[官祭招魂社]]。[[内務大臣指定護国神社]]。[[別表神社]]。県内の[[会津若松招魂社]]、[[相馬招魂社]]、[[三春招魂社]]を合祀合併し、信夫山に新たに一社を設け、成立した。[[黒沼神社]]に隣接する。社殿は護国神社様式。天照は戦後合祀した祭神で、占領中は'''大霊神社'''と称した。'''信夫山招魂社'''。'''福島招魂社'''。(参照:同名神社[[福島招魂社]]) | ||
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1879年(明治12年)10月4日、三つの招魂社を福島県信夫郡福島北郊の信夫山に遷座合祀し、さらに西南戦争戦没者の神霊を祭り、創建された。 | 1879年(明治12年)10月4日、三つの招魂社を福島県信夫郡福島北郊の信夫山に遷座合祀し、さらに西南戦争戦没者の神霊を祭り、創建された。 | ||
1937年(昭和12年)11月に現在の社殿に造営。1939年(昭和14年)4月1日、内務省告示142号で指定護国神社の最初34社の一つとなり、福島県護国神社と改称。1947年(昭和22年)天照皇大御神を合祀し、大霊神社と改称[http://m-shinsei.jp/modules/gokoku/index.php?lid=11]。1952年(昭和27年)9月18日に福島県護国神社に復した。 | 1937年(昭和12年)11月に現在の社殿に造営。1939年(昭和14年)4月1日、内務省告示142号で指定護国神社の最初34社の一つとなり、福島県護国神社と改称。1947年(昭和22年)天照皇大御神を合祀し、大霊神社と改称[http://m-shinsei.jp/modules/gokoku/index.php?lid=11]。1952年(昭和27年)9月18日に福島県護国神社に復した。 | ||
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==境内== | ==境内== |
2021年6月6日 (日) 時点における版
福島県護国神社(ふくしまけん・ごこくじんじゃ)は、福島県福島市駒山の信夫山にある招魂社。祭神は福島県の戦没者と天照皇大御神。官祭招魂社。内務大臣指定護国神社。別表神社。県内の会津若松招魂社、相馬招魂社、三春招魂社を合祀合併し、信夫山に新たに一社を設け、成立した。黒沼神社に隣接する。社殿は護国神社様式。天照は戦後合祀した祭神で、占領中は大霊神社と称した。信夫山招魂社。福島招魂社。(参照:同名神社福島招魂社)
目次 |
祭神
- 戦没者6万8500余柱(ウェブサイト)
- 天照皇大御神
官祭招魂社時代は世良砥徳・牧野茂敬以下419柱が官祭祭神で、西南戦争戦死者の佐川官兵衛以下176柱、戊辰戦争349柱が私祭祭神とされる。 「官祭招魂社人名台帳」『靖国神社誌』(1911年(明治44年))で419柱とあるのも官祭祭神の数。『靖国神社百年史』(1984年(昭和59年))では6万4490柱、「全国護国神社一覧」では6万8512柱とある。天照大神は1947年(昭和22年)合祀。
歴史
岩代国若松県会津郡若松の会津若松招魂社、磐城国磐前県宇多郡黒木の相馬招魂社、磐城国磐前県田村郡三春町の三春招魂社があった。1876年(明治9年)8月、若松県と磐前県は福島県に合併した。 1879年(明治12年)10月4日、三つの招魂社を福島県信夫郡福島北郊の信夫山に遷座合祀し、さらに西南戦争戦没者の神霊を祭り、創建された。 1937年(昭和12年)11月に現在の社殿に造営。1939年(昭和14年)4月1日、内務省告示142号で指定護国神社の最初34社の一つとなり、福島県護国神社と改称。1947年(昭和22年)天照皇大御神を合祀し、大霊神社と改称[1]。1952年(昭和27年)9月18日に福島県護国神社に復した。
境内
組織
歴代
- 富田忍()<>:
- 飯野盛男()<-1975->:飯野八幡宮宮司。
- 富田好弘()<>:冨田好弘。羽黒神社宮司。
資料
- 「信夫山招魂社碑」[2]