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真宗大谷派三河別院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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真宗大谷派三河別院(しんしゅうおおたには・みかわ・べついん)は、愛知県岡崎市にある真宗大谷派の別院。東本願寺峰山別院を移転して成立。(参考:同名寺院三河別院)
歴史
明治22年(1889)10月6日、三河別院の新設を東本願寺が達っした。青木馨は設置の目的について明治の東本願寺再建で、三河での事務取扱のための施設が必要だったからかもしれないと推測している(『別院探訪』)。翌年4月8日、新たに購入した現在地に三河教校の合議所を移して仮本堂とした。
当初は西三河の大寺院である赤羽別院と西三河の中央施設だった暮戸説教場を移転させて設置する計画であったが、地元の門徒の反対により中断。明治13年(1880)ごろに創設された丹後の峰山別院を移転することとなった。峰山別院の本尊を継承し同年9月に入仏式が行われた。 明治24年(1891)、近くの専福寺から明治天皇行在所御殿を譲り受けていたが、29年(1896)8月、暴風雨で仮本堂が倒壊すると、この御殿を新たな仮本堂とした。明治32年(1899)には対面所が落成し、三代目の仮本堂となった。36年(1903)には、東本願寺旧仮御影堂を移築して本堂とすることとなり、40年(1907)に上棟式を行う予定だったが、式直前に暴風雨のため被害にあった。新材を加えて再建を進め、明治42年(1909)12月にようやく竣工した。この本堂も昭和20年(1945)の空襲で焼失。25年(1950)に仮本堂を建て、45年(1970)に現在の本堂を再建した。
画像
参考文献
- 木場明志監修、2012『別院探訪』真宗大谷派宗務所出版部
- 『峰山郷土志』