ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
休ケ岡八幡宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2017年6月25日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
休ケ岡八幡宮は、奈良県奈良市の薬師寺にある八幡信仰の神社。祭神は「誉田別命・息長足媛命・仲日売命」(国史大事典)。薬師寺鎮守。村社(国史大事典)。
目次 |
創建
寛平年間(889-898)、別当栄紹が宇佐八幡を勧請して創建。南大門の南側にあった花苑内に建てられ、現在の鎮座地も同じ位置とみられる。近年の研究によると、同時代創建の他の八幡宮や『薬師寺古記録抜粋』の記述から、宇多天皇の勅願を受け、栄紹が寛平8年(896)に創建したとみられている(近藤将人2014「薬師寺僧形八幡三神像の成立事情について」)。 創建前後に造立された神像は、神像美術の代表古例として著名。
歴史
社殿は破損と再興を繰り返した。嘉暦2年(1327)、焼失。のち再建。天文8年(1539)、薬師寺諸堂が暴風で破損。八幡宮も修復されるが、慶長元年(1596)、地震で倒壊。慶長8年(1603)、豊臣秀頼の命で片桐且元が現在の社殿を再建した。この時、中門や楼門も建てられたが、宝永4年(1707)の地震で倒壊した。
八幡社八講、八幡社十講が行われていた。
明治の神仏分離で、薬師寺から独立して、村社となった。しかし現在は再び薬師寺の管理下にあり、独立した法人格は持たないようだ。
社殿
左右の脇殿には十九所明神を祀っていた。境内に若宮社があったが、昭和23年、古図に基づき別地に遷座。座小屋という宮座の建物が残る。社地の近くに八幡院という薬師寺塔頭があり、八幡宮を管理していた寺院と思われる。
参考文献
- 国史大事典
- 日本歴史地名大系