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藤原鎌足旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2018年9月2日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
藤原鎌足・中臣鎌足は、藤原氏の始祖となった古代の貴族。中臣氏。当時、最上の官位であった大織冠を授けられ、他に同じ位を持つ者がほぼいないことから大織冠が鎌足の通称としても使われる。大織冠大明神、談山大明神、談山権現、多武峰大明神などとも呼ばれる。
一覧
- 生誕地
- 阿武山墓
- 藤原鎌足墓 将軍塚伝承地:大阪府茨木市安威。多武峰改葬以前の墳墓を江戸時代にはこの地だと伝えた。実際には古墳時代後期の円墳。将軍塚古墳。社殿はないが大織冠神社とも呼ばれる。近くに摂津・大念寺がある。
- 藤原鎌足墓 阿武山伝承地:大阪府高槻市奈佐原。1934年(昭和9年)に発見され、金糸で刺繍した冠など豪華な装束をまとった男性の遺骸を確認。多武峰には実際には改葬されなかった藤原鎌足の墓の可能性が指摘されている。阿武山古墳。
- 多武峰:墓所。阿武山から改葬したとされる。