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寛永寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2023年3月11日 (土) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
寛永寺(かんえいじ)は、東京都台東区にある、徳川家祈願寺・菩提寺で、江戸時代には輪王寺宮歴代が住して天台宗の事実上の総本山となった寺院。本尊は薬師如来。平安京鎮護の延暦寺になぞらえ、江戸鎮護の寺として天海が創建した。江戸触頭ともみなされた。現在は天台宗延暦寺派別格大寺。円頓止観院、円頓院。輪王寺宮は、日光山満願寺(現日光・輪王寺)も兼任した。戊辰戦争で多くの伽藍を焼失した。境内地の多くが収公され、上野公園になった。子院大慈院跡に再建された。本坊である門跡寺院の輪王寺門跡など、多くの子院がある。堂社としては開山堂、上野東照宮、弁天堂、清水堂などが現存。かつては根本中堂などがあった。元号寺。群馬県に別院浅間山観音堂がある。東叡山。寛永寺関連旧跡も参照。
目次 |
組織
歴代住職(明治以降)
- 16松山徳門()<1871->:自坊は津梁院。1871年(明治4年)就任。少教正。中教正。仏頂院。杉山徳門とも。(『下谷区史』)
- 17天納暢海()<1884->:自坊は本覚院。1884年(明治17年)、輪王寺門跡門主14世を兼務。(『下谷区史』)
- 18宮部亮常()<1890->:自坊は寒松院か。1890年(明治23年)前後在任。輪王寺門跡門主15世。権大僧正。(『下谷区史』)
- 19篠原守慶()<>:自坊は春性院。書家豊道春海の叔父。常応院守慶。輪王寺門跡門主16世。(『下谷区史』)
- 20救護栄海(?-1928)<>:のち浅草寺住職。輪王寺門跡門主17世。(『下谷区史』)
- 21大照円朗(-1926)<-1926>:輪王寺門跡門主18世。1926年(昭和1年)2月16日死去。(『下谷区史』)
- 22大多喜守忍(1867-)<1926->:自坊は真如院。輪王寺門跡門主19世。1867年(慶応3年)10月10日生。1926年(昭和1年)3月5日、輪王寺門跡門主兼寛永寺貫首に就任。(『下谷区史』)
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- 長沢徳玄(-1947)<-1940->:自坊は林光院・津梁院。寛永寺執事を経て寛永寺貫首。輪王寺門跡門主。1947年(昭和22年)9月22日死去。75歳。
- 浦井亮玄()<1960->:自坊は現龍院。1960年(昭和35年)5月就任。
- 大照晃道(-1967)<-1967>:自坊は本覚院。宗派宗機顧問。1967年(昭和42年)12月7日死去。77歳。
- 杉谷義周()<-1976->:宗務総長。自坊は円珠院。今東光と親しかった。
- 32青沼寂諶()<-1989->:自坊は泉龍院。輪王寺門跡門主29世。
- 33宮部亮信(-2000)<-2000>:自坊は寒松院か。2000年(平成12年)2月死去。輪王寺門跡門主30世。東京都仏教連合会会長。
- 34神田秀順(1928-2019)<2000-2019>:自坊は護国院。2000年(平成12年)4月就任。輪王寺門跡門主31世。2019年(令和1年)11月22日死去。91歳。
- 浦井正明(1937-)<2020->:自坊は現龍院。1937年(昭和12年)生。1961年(昭和36年)慶応義塾大学文学部史学科卒。弁天堂輪番。天台宗典編纂所編纂委員。寛永寺執事長。寛永寺長臈。台東区教育委員会委員長。2020年(令和2年)就任。著書に『上野寛永寺将軍家の葬儀』など。
執当
- 晃海()<>:最教院
- 豪俔()<>:双厳院
- 実俊()<>:
- 亮伝()<>:
- 舜盛()<>:
- 行海()<>:
- 公雄()<>:
- 宣存()<>:
- 玄海()<>:
- 最純()<>:大山寺学頭6世。
- 公淵()<>:
- 智周()<>:
- 実興()<>:大山寺学頭8世。
- 貫通()<>:
- 慧順()<>:
- 公然()<>:
- 慧潤()<>:
- 慈泉()<>:
- 最妙()<>:
- 尚忍()<>:
- 慈莚()<>:
- 智洞()<>:
- 正純()<>:
- 円覚院()<>:
- 聟韶()<>:
- 覚深()<>:
- 深海()<>:
- 空潭()<>:
- 貫亮()<>:
- 慈秀()<>:
- 守玄()<>:
- 寂忍()<>:
- 慈堂()<>:
- 幸然()<>:
- 覚印()<>:
- 周順()<>:戸隠山別当?
- 覚謙()<>:
- 守叔()<>:
(東叡山之記より)
学頭
執事長
- 水上義海()<>:自坊は修禅院。越前国南条郡出身。
- 古宇田亮宣()<>:善光寺大勧進99世。
- 赤沼義俊
- 浦井正明(1937-)<>:寛永寺貫首
- 神田隆順()<>:自坊は護国院。
資料
古典籍
- 「東叡山諸堂建立記」[1]
- 「東叡山之記」[2]
- 「東叡山縁記」[3]
- 「東叡山記」乾[4]坤[5]
- 「東叡山志料」上[6]下[7]
- 「東叡山寛永寺子院記」[8]
- 「東叡山御建立旨趣并輪王寺御門室由来」[9]
- 「東叡山現龍教院阿弥陀堂記」[10]
- 「東叡山法度」[11]
- 「東叡山下知状」[12]
- 「東叡山外三箇寺寺領境内及江戸附近御代官方新地之定」[13]
- 「東叡山絵図地割」[14]
- 「東叡山寛永寺円頓院開基」[15]
- 「上野寛永寺霊廟配置図」[16]
- 「江戸東叡山境内図」[17][18]
- 「東叡山総絵図」[19]
- 「東叡山開山慈眼大師縁起」[20]
- 「東叡山日記」[21]
- 『東叡山名所』[22]
- 「江都東叡山寛永寺地図」[23]
- 「寛永寺年中行事」[24]
- 『東叡山寛永寺子院歴代主僧記』1[25]2[26]