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伊雑宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2019年12月15日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
伊雑宮(いざわのみや、いぞうぐう)は、三重県志摩市磯部町迫間上之郷(志摩国答志郡)にある伊勢信仰の神社。官社論社。志摩国一宮論社。皇大神宮別宮。伊勢神宮の遥宮の一つ。倭姫命の旧跡であるが元伊勢ではない。
歴史
この地は磯部氏の根拠地だったといわれる。 倭姫命が皇大神宮鎮座の後に御贄地を定めるために志摩を巡行した際に、伊佐波登美命が稲を奉って神殿を造営したのが始まりという。 吾妻鏡によると、源頼朝が伊勢神宮に起源した時、伊雑宮にも神馬を奉納したという。 伊雑御浦惣検校職が置かれていた。室町時代には衰退し、 江戸時代初期の2度の仮殿遷宮は地元によって行われた。
一方で明応年間頃から伊雑宮専属の御師が出現。次第に力を付け、伊雑宮の神格を高めようと伊勢神宮は伊雑宮の分社であると主張し始めた。 臨済僧の潮音によった先代旧事大成経という偽書も作られた。内宮外宮と訴訟となり、1658年(万治1年)朝廷の採決で内宮の別宮と定められた。
別宮でありながら豪華な装飾の社殿だったが、1909年(明治42年)に改正され、他の別宮と同じ社殿様式に改められた。