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以仁王(1151-1180)は後白河天皇の皇子。治承寿永の乱を起こした政治家。天台僧として出家するが後に還俗。1180年(治承4年)、源頼政に奉じられて平氏討伐の令旨を発令し、6年間に渡る源平合戦が始まる。最勝親王と自称。同年、山城国南部の光明山寺の近くで戦死。通称は三条宮、高倉宮。高倉神社祭神。治定以仁王墓。