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柏崎招魂所
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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柏崎招魂所は新潟県柏崎市学校町にある墓地。官修墳墓と思われるが未確認。柏崎招魂社と呼ばれることもあるが、招魂社として扱われたことがあったのかもしれない。官祭招魂社にはなっていない。
歴史
- 1868年(明治1年)閏4月:新政府軍、柏崎町の妙行寺に陣を置く。
- 1868年(明治1年)8月25日:日柳燕石死去。仁和寺宮が大桜定居彦の諡号を贈る。柏崎神社の樋口秀実が斎主となって埋葬。[1]
- 1868年(明治1年)9月頃:聞光寺を軍病院を設置。死者を妙行寺、聞光寺、西光寺、龍泉寺、多聞寺、勝願寺、青海川などに埋葬。納屋町に59基の墓碑を建立。高鍋藩1基は本国に改葬。
- 1868年(明治1年)10月3日:鹿児島藩から祭祀料50円を奉納。5月6日と9月22日を祭日とする。[2]
- 1868年(明治1年)10月:一説に10月に創設[3]
- 1868年(明治1年)12月:一説に12月に創立(1874年(明治7年)3月31日提出文書[4])
- 1876年(明治9年)8月7日:金沢藩士から聞光寺に、聞光寺埋葬の同藩戦死者のため供物料など奉納[5]。
- 1877年(明治10年)12月頃:山口県人から山口藩振武隊神霊のために神供料50銭を奉納[6]。
- 1878年(明治11年)9月:北陸巡幸で柏崎に立ち寄った明治天皇が侍従を派遣。戦死者58人に幣帛料を下賜。1人につき50銭。[7]
- 1917年(大正6年)4月28日:薩摩藩戦死者墓碑14基を高田官修墳墓に改葬[8]。
- 1967年(昭和42年)10月8日:日柳燕石100年祭[9]