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真宗大谷派桑名別院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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真宗大谷派桑名別院(しんしゅうおおたには・くわな・べついん)は、三重県桑名市にある真宗大谷派の別院。寺号は本統寺。桑名御坊。今寺。別格別院だった(大谷派寺院録)。
歴史
石山合戦の最中、伊勢、尾張、美濃の三国の末寺門徒が石山本願寺への連絡や物資の支援などのために、水運の要衝であった桑名三崎の地に坊舎を設けたのが始まり。当初は今寺と称したという。
慶長元年(1596)、本願寺12代教如は桑名御坊を設置しようと計画し、この今寺を三国の録所として取り立てた。初代には教如息女の長姫を寺務職代として迎え、ついで東本願寺13代宣如連枝の寿量院宣慧を請じたため、寺名を寿量院と称した。慶安2年(1649)、宣如が教如の考えに基づき、我が正当の血統の寺として本統寺と名付けた。延宝年間に伽藍が焼失するが、八棟造の本堂が。寺院としては異例である。昭和20年(1945)の桑名大空襲で焼失するも京都府の時宗寺院より堂宇を入手し本堂とし、山門・鐘楼を八尾別院から移し、さらに豪農から屋敷を譲り受け庫裡として、早くも25年(1950)に復興した。
掛所として二恩寺があったが、明治11年、高須別院として独立した。
参考文献
- 木場明志監修、2012『別院探訪』真宗大谷派宗務所出版部