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神泉苑
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2019年1月13日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
神泉苑(しんせんえん)は、平安京にあった苑地。天皇や貴族が曲宴・観射・花宴・琴歌挿菊・避暑・七夕相撲・賦詩など数々の行事を開いた。神事や密教修法などの宗教行事もたびたび行われた。特に空海の請雨経法や八坂神社祇園祭につながる御霊会が有名。八坂神社関連旧跡。
歴史
『日本紀略』の800年(延暦19年)7月19日の桓武天皇行幸が初見。 敷地の中心に大きな池があり、その北に正殿となる乾臨閣があった。 824年(天長1年)、空海が善女龍王を祀り請雨経法を行ったという逸話が有名。以後、東寺長者が祈雨祈願をたびたび行った。 『三代実録』に875年(貞観17年)6月、請雨経法。 1459年(長禄3年)、池のまわりの一部が菅原氏の所有となっている。
江戸時代、1602年(慶長7年)5月の二条城造営で敷地を削られた。1607年(慶長12年)、快雅が復興して寺院とした。歴史的経緯から東寺宝菩提院が兼務することとなり、京都・護国寺と称した。