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紫禁城
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2022年8月7日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
紫禁城(しきんじょう)は、中国北京にあった明清の宮城。
目次 |
一覧
- 城内外に関帝廟が200以上あった。
外朝
三大殿地区
- 太和殿:紫禁城の正殿。
- 中和殿
- 保和殿
文華殿地区
- 文華殿
- 伝心殿:三皇五帝と孔子を祀る。太和殿の東南、文華殿の東側にある。清代の康熙年間に、中央に伏羲、神農、軒轅,堯、舜,禹王、湯王、文王、武王の位牌を祀り、東に周公、西に孔子をまつった。
- 佑国殿:明代にあった道教施設。玄武大帝を祀る。遺構は残っていない。
- 聖済殿:明代にあった道教施設。現在の文渊閣の場所にあった。三皇歴代名医を祀る。
- 馬神廟:明代にあった。東華門内の北側にあった。
武英殿地区
- 武英殿
内廷中央
後三宮地区
- 乾清宮:内廷の正殿。
- 祀孔処:乾清宮の東南隅にある孔子や先賢先儒を祀る祭壇。
- 薬王堂:乾清宮の東側にある祭壇。伏羲、神農、薬皇と称した黄帝、孫思バク、華陀、扁鵲、ヒトウ、三韋氏、呂洞賓、李時珍などを祀った。薬王殿とも。
- 交泰殿:乾清宮と坤寧宮の間にある宮殿。
- 坤寧宮:明代は皇后の寝殿であったが、清代になると満洲族の宗教儀礼のための祭場となった。
御花園
- 欽安殿:御花園の中心宮殿で、坤寧宮の真北にある。道教施設。紫禁城の中心軸上にある唯一の宗教建築。明代の創建で当時の建築が現存。真武大帝(玄武大帝、玄天上帝)を祀る。他に10の神座がある。永楽年間に建てられ、嘉靖14年に垣を巡らせた。正門を「天一門」という。元旦には門内に斗壇を設置し、皇帝が焼香した。
- 四神祠:御花園内の西側にある。明の嘉靖15年の建立。独特の八角形の平面を持つ。四神を祀る。四神とは風神、雲神、雷神、雨神の四神とも、青龍、白虎、朱雀、玄武の四神ともいう。
- 位育斎:御花園内の西北にある。明代に建てられ、対育軒と称した。嘉靖年間に玉芳軒と改称し、清代になって位育斎と変えた。雍正年間に仏堂に改造された。
内廷東側
北五所
東六宮地区
- 東六宮
- 天穹宝殿:東六宮の東隣にある。明代の創建で玄穹宝殿と言った。玉皇大帝(昊天上帝)を祀る。また玉帝、太乙天尊、呂祖、老子、九天、紫陽真人などの画像や道教経典があった。清の順治年間に改築。康煕帝の諱を避けて、天穹宝殿と改称。同治帝、光緒帝が祈雪・祈晴の祈願を行った。
奉先殿地区
- 奉先殿:太和殿の北東にある。明清の皇室の家廟。明代に創建され、清代もこれを継承し、順治14年(1657)再建。前殿と後殿がある。前殿は桁行九間、奥行四間、建坪は1225㎡。後殿は桁行九間、奥行二間、建坪は755㎡で内部は「同殿異室」となっていて九室それぞれに神牌が奉安されている。正門を奉先門という。
- 斎宮:奉先殿の西側にある。皇帝が天壇や地壇での祭祀の前に斎戒を行った場所。元々明代と清初期には宮外にあったが、雍正帝が雍正9年(1731)に宮内に建てた。
- 毓慶宮:奉先殿と斎宮の間にある皇子の御殿。
- 惇本殿:最初、清の康熙18年(1679)に建てられ、乾隆59年(1794)再建、光緒16年(1890)に修復している。東西暖閣に皇子専用の仏堂
寧寿宮地区
- 皇極殿:寧寿宮の正殿。
- 養性殿:太上皇(退位した皇帝)の寝宮。西暖閣と東西配殿に太上皇用の仏堂が設けられた。
- 仏日楼:寧寿宮の東北隅にある。東隣に梵華楼がある。乾隆37年(1772)建立。第一層には密集金剛、上楽金剛、大威徳金剛、喜金剛、時輪金剛、五方仏、釈迦如来を祀る。第二層には釈迦如来、燃燈仏、弥勒仏の三世仏、十八羅漢、四天王を祀り、また無量寿仏の小銅像378体ある。
- 梵華楼:寧寿宮の東北隅にある。西隣に仏日楼がある。乾隆37年(1772)建立。第一層には7部屋あり、ある部屋に旃檀仏銅像を祀り、残りの6部屋に壮麗な装飾が施された七宝焼きの仏塔が1基ずつ置かれている。第二層にはある部屋にはツォンカパの像があり、残りの6部屋には銅像9体、小銅像122体ずつ祀られており、合計786体あるという。
- 頤和軒:楽寿堂の真北にある。乾隆37年(1772)建立。東暖閣に太上皇用の仏堂がある。
- 乾隆花園
- 萃賞楼:北よりにある。乾隆37年(1772)建立。西隣に雲光楼が接続する。仏堂があった。
- 雲光楼:萃賞楼の西隣にある。L字型の平面を持つ。仏堂があった。養和精舎。
内廷西側
西六宮地区
- 西六宮
- 重華宮:西六宮の北側にある皇太子の御殿。皇太子専用の仏堂がある。
- 崇敬殿:東西暖閣に皇太子専用の仏堂
養心殿地区
- 養心殿:太和殿の北西にある。皇帝の寝室。明代嘉靖年間に建立。日常の在所。西暖閣と東西配殿に仏堂が設けられた。
- 無梁殿:明代にあった道教施設。養心殿の西南にあった。道教を信仰した嘉靖帝が錬丹を作ろうとした場所。
中正殿地区
- 中正殿:皇帝専用の仏堂。本尊は無量寿仏。廃絶?
- 東西配殿:
- 後殿:
- 香雲亭:
- 宝華殿:釈迦如来。
- 梵宗楼:下層に文殊菩薩、上層に大威徳金剛。
- 雨花閣:太和殿の西北にある。大威徳金剛、上楽金剛、密集金剛
- 東配楼:乾隆帝の密教の師チャンキャ・ホトクト3世を祀る。
- 西配楼:北京で死去したパンチェン・ラマ6世を祀る。
- 隆徳殿:明代にあった道教施設。清代の中正殿の場所にあった。旧称を玄極宝殿と言う。隆慶元年夏に隆徳殿と改称し、三清上帝などの神々を祀った。万暦44年11月焼失したが、天啓7年3月に再建。崇禎6年、中正殿と改称した。
寿安宮地区
- 春禧殿:
- 寿安宮:
- 英華殿:北端にある。明清代の皇后・妃(皇太后・太妃?)専用の仏堂。明代初期に創建され隆禧殿と称した。隆慶元年(1567)に改称した。
慈寧宮地区
- 慈寧宮:
- 寿康宮
- 東暖閣:皇太后・太妃など専用の仏堂があった
- 慈寧宮花園
- 慈蔭楼:皇太后・太妃など専用の仏堂があった
- 咸若館:皇太后・太妃など専用の仏堂があった
- 宝相楼:皇太后・太妃など専用の仏堂があった
- 吉雲楼:皇太后・太妃など専用の仏堂があった
- 大善殿:明代にあった仏殿。大善仏殿。1535年、嘉靖帝、禁中の仏像を取り払い、大善殿の仏像を焼却した。大善殿を撤去し、皇太后宮を建設した(慈寧宮?)。金銀の仏像169座と、仏骨、仏頭、仏牙など1万3000斤(7670kgか。590g/斤換算)余を収めた金銀の箱があったので、永久に除去するために大通りで仏骨などを焼いたという。
その他
- 城隍廟:紫禁城の西北隅、英華殿の隣にある。清の雍正4年に勅命で創建。紫禁城の城隍神を祀る。道光25年に廟としては廃絶したが、建物は残っている。
- 馬神廟:城隍廟の東にあった。
参考文献
- 王宝光、2007「紫禁城里的宗教之儒家聖殿」『人民日報海外版』2007/11/30
- 王宝光、2007「紫禁城里的宗教 道教神殿」『人民日報海外版』2007/12/7
- 王宝光、2007「紫禁城里的宗教 喇嘛教佛堂」『人民日報海外版』2007/12/14
- 王宝光、2007「紫禁城里的宗教 民間俗神」『人民日報海外版』2007/12/21
- 故宮博物院ウェブサイト