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摂津・毫摂寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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毫摂寺(ごうしょうじ)は、兵庫県宝塚市にある浄土真宗寺院。浄土真宗本願寺派。真宗出雲路派本山越前毫摂寺と由来を同じくし、京都・毫摂寺の後継寺院の一つ。小浜御坊。寺内町小浜(こはま)を形成。山号は出雲路山。(参考:同名寺院毫摂寺)
歴史
起源
京都毫摂寺は丹波の乗専が創建。4世の善幸(越前毫摂寺の伝では5世)は伽藍が戦乱で焼失したため、次男の善鎮と共に越前に移ったが、長男の善秀は京都に残った。 まもなく善秀は摂津小浜(こはま)に移った。 文明6年(1474)6世の善鎮は蓮如に帰依し、8世善秀は天文5年(1536)に本堂を造営したと伝える。 ただ史料では文明15年(1483)に蓮如が有馬温泉に湯治に行った時、小浜や毫摂寺ではなく、すぐ近くの舞谷(米谷)に滞在しており、まだ寺院はなかったと考えられている。善秀、善鎮の名も重複しており、別人物なのか同一人物なのかよく分からない。善幸も善智と混同されて記録されることがあると言われ、伝承が錯綜している。
成立
『摂陽群談』によると明応年間(1492-1501)に小浜荘が開かれた時に毫摂寺善秀が関与しており、この時までには小浜に成立していたのだろう。順興寺実従が永禄3年(1560)に有馬温泉に行った時は毫摂寺で駕籠を用意しており、拠点になっていたことが分かる。 豊臣秀吉も有馬温泉に向かう途中で毫摂寺に滞在したという。 乗専筆の書を所蔵する。
(日本歴史地名大系)