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世義寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2013年1月25日 (金) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
世義寺 せぎでら | |
概要 | |
奉斎 | |
所在地 | 三重県伊勢市岡本2-10-80 |
所在地(旧国郡) | |
所属(現在) | |
格式など | 当山派正大先達 |
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目次 |
概要
伊勢神宮所縁の真言宗寺院。塔頭の威徳院は当山派大先達寺院。無本寺だった。真言宗醍醐派。
奉斎
歴史
行基が東大寺大仏鋳造を祈念した際に創建されたという。もと継橋郷前山にあったが、建長年間、円海律師が中興して、外宮宮域の西の坂之世古に移転した。この時、法楽舎を設け、智証院と称した。
また重源が東大寺大仏再建の実現祈願に神宮参詣に赴いた時に参籠したという。
寛文の大火で被害は受けなかったが、神宮に接して寺院があるのを問題視した山田奉行が代わりに瀧浪山に移転させた。
天保6年、後山に四国霊場の写し霊場を開いたが、神地に相応しくないとの外宮方からの抗議があった。寛文の退去の取り決めに反し、新規異例の行為であり、神宮の屋根より高い位置に仏像を祀るとは恐れ多いと主張。これを受けて山田奉行は、心得違いだとして、天保6年以来の造立の仏像は撤去するように命じた。
明治4年、社寺改革の中で、所領が没収されたので、明治5年8月、本堂、延命院、法雲寺を威徳院に合併。かつては19の塔頭があったが、ひとつのみ残り、世義寺威徳院とし、醍醐三宝院門跡の末寺となった。(『宇治山田市史』)。
毎年9月中旬から10月中旬まで如法経会が行われていた。 11月には外宮では瀧谷(清浄谷)山宮祭を行うが、世義寺で火を炊き、火焔が上がるのを確認してから、祭事を始めたという。神宮から供料が供えられた。
威徳院では毎年6月7日に柴灯護摩を行なっていた。北畠親房は120石を大峰修行料として威徳院に寄進。文禄3年、松坂奉行から50石を永代寄付。
智証院と呼ばれた法楽舎では両大神宮のために大般若経を転読したり、不断経を行ったりした。影向の間という部屋があったらしい。
境内
画像
参考文献