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本庄普寛霊場
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2013年1月27日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
本庄普寛霊場 ほんじょう ふかん れいじょう | |
概要 | 普寛の墓所四箇所の一つ。泰賢・順明の墓所。 |
奉斎 | 普寛 |
所在地 | 埼玉県本庄市中央3-4 |
所在地(旧国郡) | 武蔵国児玉郡 |
所属(現在) | 御嶽教 |
格式など | 大本庁直轄大教会? |
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目次 |
概要
普寛の墓所四箇所の一つ。遺骨を砕いて、木像に黒漆で塗り固められた「御霊像」が、御堂にご神体として祀られている[1]。「所求円満道場」の額がかかる。阿夫利神社および若水公園に隣接する。4月10日と9月10日に大祭。
奉斎
- 普寛
普寛については普寛旧跡を参照。遺骨を砕いて、木像に黒漆で塗り固められた「御霊像」が、御堂にご神体として祀られている[2]。
歴史
普寛は本庄宿で死去し、安養院に埋葬された。御堂は文久年間に計画され、1870年(明治3年)に全国の信者の寄進により、造営された[3]。1853年(嘉永6年)まで建物がなく、1870年(明治3年)になって堂宇が建立されたという。大正11年に道路改修工事のため、安養院境内から現在地に遷座した[4]。しかし、『御嶽教の歴史』には安養院および本庄町の支配にあったものを渡辺銀治郎管長が1936年(昭和11年)に譲り受けて移築したという。さらに教会殿堂を建立して、大本庁直轄普寛大教会とした。その後、代々の管長が教会長となる。昭和5年の埼玉県編『埼玉県名勝旧蹟案内』によると曹洞宗所属の仏堂(近代の宗教施設区分の一つ)の扱いとなっている。
境内
堂宇とは別に、普寛の墓塔がある。さらに泰賢、順明の墓塔や普寛百回忌塔がある。1925年(大正14年)10月に境内に稲荷社が創建されている。不動殿も同じ頃に創建されたものだろう。不動殿に関しては、普寛、泰賢、順明らの本地堂的意味合いがあったのではないかと推測されている[5]。
画像
参考文献
- 木曽御嶽信仰#参考文献を参照。
- 『御嶽山王滝口 信仰資料拝見記』
- 『普寛堂宝物拝見記』
- 『木曽御嶽信仰』
- 『御嶽教の歴史』
- 埼玉県編 昭和5年『埼玉県名勝旧蹟案内』
- 埼玉県編 昭和14年『埼玉県史』