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常明寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2015年1月11日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
常明寺 じょうみょうじ | |
概要 | 度会氏(二門)の氏寺。天台宗。廃絶。 |
奉斎 | |
所在地 | (三重県伊勢市) |
所在地(旧国郡) | 伊勢国度会郡 |
格式など | |
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目次 |
概要
継体天皇代の創建。聖徳太子が再興したとされる。 『神祇本源』所載の「尾上寺」や「泉寺」の後身という見解がある。また外宮禰宜の檜垣常明が再興したため、この名前がついたという説があるが、彼の時代以前からこの名前で存在していることが確認されているので否定されている。
もと真言宗だったが寛永年間に天台宗に改宗。
『倭姫命世記』によると、雄略天皇23年2月、尾上山峰に退いて、「石隠」したとあるが、この「尾上山峰」が常明寺のある小山で、境内の石窟が倭姫命の墳墓であると言われる。現在は宇治山田陵墓参考地に指定されている。
『毎事問』によれば、このあたりが昔刑場で墓地でもあったことを聞いた長官の檜垣常晨は後の世に再び刑場に使われないように寛永6年の遷宮の際の古材の鳥居をここに建てたという。ところが、この鳥居を巡って事件が起きる。延宝3年、常明寺が「両太神宮内院高日山太神宮寺」の扁額をこの鳥居に掲げた。神宮は、「仏寺にあるまじきこと」として山田奉行に訴えたところ、扁額を取り下げさせ、鳥居は朽ちるに任せた。しかし、常明寺では夜半に古木で修繕を加えて、明治維新まで存続させたという。
境内には神落萱社があり、現存している。正月8日には外宮神官が参向して祭典を行った。
画像
参考文献
- 『宇治山田市史』