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元興寺極楽坊
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
元興寺極楽坊(がんごうじ・ごくらくぼう)は、奈良県奈良市にある、浄土教の真言宗・南都仏教寺院。現在は、単に元興寺と称する。真言律宗西大寺派。本堂は古代元興寺の僧坊を改造した極楽堂で、智光曼荼羅を祀る。中世、南都浄土教の拠点だった。元興寺関連旧跡も参照。
目次 |
歴史
智光曼荼羅の起源
極楽坊は古代伽藍の僧房の一部が起源で、奈良時代の建造物の遺構として非常に貴重。東室南階大房十二房に当たる。 この僧房は三論宗の智光が住んでいたと伝え、智光が感得した浄土曼荼羅を祀る堂宇として特別視されたため、特異な形で現代に残ることとなった。
智光が浄土曼荼羅を感得した逸話は『日本極楽往生記』などに記される。 智光は博学の学僧であったが、先に死んだ同門の頼光(礼光)が極楽往生した様子を夢で見て、その光景を浄土図として画工に描かせたという。これが智光曼荼羅で、智光も観仏して往生したという。 東大寺凝然の『浄土法門源流章』によると浄土六祖の始めと位置付けられており、浄土教史上無視できない事項ではあるが、どこまで史実なのかはよく分からない。
独立寺院へ
12世紀の初頭には往生院とか極楽房などと呼ばれていた。念仏講などが営まれ、南都の浄土教の中心として庶民の信仰を集めた。 寛元2年(1244)に極楽堂と禅室からなる現在の形態に改築された。 正嘉元年(1257)春、東大寺戒壇院円照が別に僧坊を建立しており、律僧の拠点となっていた。 西大寺流の光円が応安元年(1368)に入寺し、興福寺大乗院の支配下にありつつ西大寺流の寺となった。大乗院門跡孝覚(1319-1368)を中興開山とするともいう。 応永18年(1411)、東大寺西南院の門を東門として移築した。 宝徳3年(1451)の土一揆で、智光曼荼羅の原本は焼失したという。
近世・近代
江戸時代には極楽院と称した。 慶長7年(1602)、徳川家康から朱印地100石が与えられた。 昭和30年(1955)、元興寺極楽坊と改称。昭和52年(1977)、元興寺を正式名称に改めた(昭和53年とも)。 元興寺文化財研究所を設立。 (国史大辞典、日本歴史地名大系)
伽藍
- 極楽堂:本堂。
- 禅室:
- 五重小塔:奈良時代の建立。
資料
- 元興寺仏教民俗資料刊行会編『智光曼荼羅』
- 『大和古寺大観』3
- 奈良国立文化財研究所編『奈良時代僧房の研究』
- 奈良県教育委員会編『元興寺極楽坊・本堂及び東門修理工事報告書』
- 五来重編『元興寺極楽坊 中世庶民信仰資料の研究』
- 奈良県教育委員会編『元興寺極楽坊本堂・禅室及び東門修理工事報告書』
- 奈良県文化財保存事務所編『国宝元興寺極楽坊五重小塔修理工事報告書』