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本福寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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本福寺(ほんぷくじ)は、滋賀県大津市本堅田にある浄土真宗寺院。蓮如旧跡。本願寺遷座旧跡。浄土真宗本願寺派。堅田本福寺。山号は夕陽山。(参考:同名寺院本福寺_(同名))
目次 |
歴史
組織
歴代住職
- 1善道()<>:三上氏。御上神社の神職だったが、別の神職を殺害して逃亡。流浪の後、堅田に来て紺屋を営んでいたところ、覚如に帰依する。
- 2覚念(1278-?)<>:禅宗に帰依。1361年生まれとも。
- 3法住(1397-1479)<>:1413年、仏光寺に参詣。1416年、本願寺に帰参したがこの時仲介役となった本弘寺の末寺要求を拒否したため、門主拝謁がしばらく叶わなくなる。門主が蓮如になると一転、信頼を得て近江の重鎮として重用された。本願寺御影が最初に遷されたのはこの時代である。1477年には慈敬寺を創建し、堅田御坊として本願寺に寄進した。
- 4明顕(1445-1509)<>:
- 5明宗(1469-1540)<>:明顕の養子。河野宣高の子。湖西門徒支配の再編成を進めたい蓮淳と対立し、3度にわたり勘気を蒙る。以後、近江の指導的地位を弱める。
- 6明誓(1491-1560)<>:
- 7明順(1522-1581)<>:石山合戦で活躍。
- 8明乗(1558-1621)<>:1611年、西本願寺の定衆となる。
- 9明芸(1600-1653)<>:1634年、一家衆(内陣)となる。
- 10明賢(1631-1692)<>:
- 11明式(1651-1723)<>:院家となる。芭蕉の門人となる。千那と号す。感応院。著書に『白馬蹄』『白馬紀行』。
- 12明因(1675-1747)<>:明式の養子。芭蕉の門人。角上と号す。
- 13明観()<>:号は角三。
- 14明随(1727-1793)<>:号は未角。真覚院。
- 15明曜(1754-1807)<>:平田明照寺亮淳の子。号は千羅。
『本福寺次第草案』[1]
資料
史料
- 『本福寺跡書』
- 『明宗日記』
- 『本福寺由来記』
- 『本福寺門徒記』
文献
- 千葉乗隆編『本福寺史』
- 千葉乗隆編『本福寺旧記』