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日野誕生院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
日野誕生院(ひの・たんじょういん)は、京都府京都市伏見区の親鸞生誕地にある浄土真宗の仏堂。本尊は阿弥陀如来。当初は隣の法界寺の境内だったが現在は浄土真宗本願寺派本山西本願寺の飛地境内とされている。旧称は日野別堂。(参考:同名寺院誕生寺)
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歴史
現在地を親鸞の誕生の地だと「発見」したのは西本願寺本如の命で旧跡調査をしていた常元寺僧糠(聞歓)である。 僧糠は法界寺の「内裏の芝」と呼ばれる地が日野家の別邸の跡だと明らかにしたという。根拠は不詳。 よってこの地は法界寺から西本願寺に「献上」されることになった。 献上は、この地100坪を西本願寺が買い取り、一旦法界寺に下付してから行われた。 このような複雑な段取りを取ったのは西本願寺の格式を誇示するためだろうか。 東本願寺や専修寺もこの地の入手に関心を示していた中、西本願寺は事を済ませた。文政9年7月には法界寺の僧が西本願寺に出向き、「雁の間」で西本願寺幹部に挨拶している。 献上を機に西本願寺は法界寺に「館入り」の身分を与えた。 この関係は明治の大谷光尊の時代まで続いた。
文政10年夏、西本願寺は堂宇の建立を計画し、翌年9月に落慶した。これが日野誕生院の起源である。 当時は有範堂または宝物堂と呼ばれた。 親鸞の誕生日を示す史料は残されていないが4月1日とする説が広がっていた。 広如は4月1日に有範堂に何度か参拝したという。幕末維新の混乱期には途絶えたが 大谷光尊(明如)の時代、明治7年から、明治の改暦で5月21日となった誕生日に参拝するようになった。 また7月3日の有範忌には使者を代参させた。
文久2年、信者有志により日野誕生講が設立され、伏見、大阪、神戸に広がっていった。 幕末の「献上」との関係は不明だが、明治13年、大谷光尊は私費で千円を支出し、堂舎・宝物などを法界寺から買い取った。 そして本願寺日野別堂と称したという。
大正8年、神戸の議員の寄付で宝物堂を建立。 開宗700年記念に整備を企画。 昭和6年、現在の堂宇が造営され、日野誕生院と改称された。
親鸞5歳の姿を描いた「袴着の御影」を所蔵。
境内
- 本堂:本尊は阿弥陀如来。向かって右に親鸞、向かって左に勝如の絵像を祀る。また向かって右側に親鸞父の日野有範の像を祀る。1931年の造営。
- 産湯井戸:誕生院保育園と法界寺の境目にある。
- 胞衣塚:同上。
- (日野家墓地):日野誕生院の北側にある。親鸞父の日野有範、母の吉祥女、伯父の日野範綱、覚信尼らの墓がある。