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官社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年1月20日 (土)
官社とは、古代朝廷による国家祭祀の対象となった神社のこと。 これらの神社は、一般に式内社の呼称で知られているが、延喜式前後にも変遷はあったのであり、既に江戸時代に伴信友が主張したように官社と呼ぶのが適切と考えられる。
山科神社や大原野神社のように?延喜式以後に官社になった神社もあるらしい?
祈年祭班幣は延喜年間には衰微していた(三善清行の「意見十二箇条」) 平安時代後期から全国一律の祭祀制度はなりたたなくなり、特に有力な神社にのみ祭祀の対象とするようになった。 中央では二十二社奉幣、地方では諸国一宮、国内神名帳所載神社への崇敬が中心となった。
鎌倉時代、室町時代には官社への奉幣は細々と行われていたが、応仁の乱で完全に途絶。
元禄年間に復興の機運があったが、実現しなかった。 近代にも復興が目指されたが、国家祭祀の対象となったのは皇室祭祀と官国幣社約200社のみに限られた。
中世の衰微で所在が分からなくなった神社が多く、江戸時代の官社の考証と復興顕彰が各地で進む中で、複数説があがることも少なくなく、時には争論に至ることもあった。 争論の解決策として、新たな場所に神社を建てられることも明治初年まであった。
年譜
- 崇神天皇7年11月:天社・国社を定め、神地神戸を定めたという(日本書紀)。古事記にも崇神天皇の代に「天神地祇之社」を定めたとある。
- 天武天皇10年1月:天社地社を修理したという。
- 大宝年間:「神祇之簿」を作成(古語拾遺)
- 702年7/8:山背国乙訓郡の火雷神を祈年祭と月次祭の対象とする。官社の確実な初見。
- 706年2月:19社が祈年祭の幣帛の例に入り「其神名具神祇官記」とある。
- 710年:大宝律令。大中小社を定めた。大社は伊勢神宮と八幡宮、中社は賀茂住吉など。その他は小社。(法曹至要抄)
- 天平年間:「神帳」を勘造したという(古語拾遺)
- 737年:官社が全国に行き渡ったという。
- 772年8/6:「官社」の語の初見。
- 798年:国幣が始まる(類聚国史)
- 927年:延喜式編纂。3132座。6861所。