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喜見院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2026年2月28日 (土)

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喜見院は東京都文京区湯島にあった天台宗寺院。湯島天満宮別当。寺号は梅園寺。山号は北野山。後身寺院として心城院がある。 近江百済寺にも喜見院があったが、同じ亮算が開いたもの。比叡山の喜見院も亮算が開いたものと思われるが不詳。

組織

歴代住職

  • 1978『湯島天神誌』「別当喜見院歴代」[1]より。留守居が置かれた。
  • 1賢盛亮算(1583-1666)<>:常陸国出身。天海の弟子。慶長年間(1596-1615)、延暦寺西谷相住坊(浄土院・仏乗院)の初代となる。延暦寺妙音院2世。寛永寺東漸院に入り、湯島天神の別当喜見院を創建。のち百済寺の南谷千手坊に入る。天海の滋賀院造営を助ける。1648年(慶安元年)1月、亮応の死去により百済寺再建を継ぐ。1666年(寛文6年)2月4日、百済寺本堂脇の隠居坊で死去、84歳。法印権大僧都。朝三とも号す。「賢盛亮算」と記されるが賢盛の名は他に見えない。
  • 2堯盛(?-1674)<>:堺出身。横川大慈院5世[2]堺天神奥之房を兼務。慶安年間(1648-1652)、湯島喜見院住職。1674年(延宝2年)4月18日、堺で死去。法印権大僧都。
  • 3宥海(?-1696)<1678-?>:観理院4世。日光山留守居4世。1678年(延宝6年)、湯島喜見院住職。大僧都法印。1696年(元禄9年)10月8日死去。。(略歴は観理院#組織を参照)
  • 4公淵(1653-1708)<1696-1703>:立石寺47世。寛永寺執当13代。二尊院24世か。比叡山西塔安詳院7世。喜多院住職。1696年(元禄9年)11月、寛永寺執当に就任し湯島喜見院を兼務。1703年(元禄16年)、比叡山西塔安詳院に移る。1708年(宝永5年)3月3日死去。(略歴は立石寺#組織を参照)
  • 5慧海(?-1716)<>:延暦寺東塔金蔵院5世。1692年(元禄5年)4月、東塔金蔵院を退く。のち喜見院住職。1716年(正徳6年)2月11日死去。大僧都法印。
  • 6慧寂(?-1737)<1716-1733>:1716年(正徳6年)3月住職[3]。1733年(享保18年)9月高田宝泉寺に転任[4]。1737年(元文2年)10月17日死去。法印権大僧都。
  • 公副(1718-1779)<1740-1742?>:観理院住職。紅葉山東照宮別当。公家出身。左中将六条房忠の子。「別当喜見院歴代」になし。1740年(元文5年)10月23日、喜見院住職[5]。1742年(寛保2年)福聚院10世
  • 慈蔭(生没年不詳)<>:権大僧都。
  • 義成(1800-1806)<>:1800年(寛政12年)生。1806年(文化3年)5月17日死去。権大僧都。
  • 乗珍(?-1812)<>:1812年(文化9年)7月22日死去。権大僧都。
  • 徧順(?-1812)<>:1812年(文化9年)9月26日死去。権大僧都。
  • 本智(?-1832)<>:1832年(天保3年)4月24日死去。法印権大僧都。
  • 純道(?-1861)<1858-?>:1858年(安政5年)月5日就任か。1861年(文久元年)5月12日死去。法印大阿闍梨。
  • 14梅園堯義(生没年不詳)<?-1868>:1868年(明治元年)還俗。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%96%9C%E8%A6%8B%E9%99%A2」より作成

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