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弘川寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2026年4月6日 (月)
弘川寺(ひろかわでら)は、大阪府南河内郡河南町弘川にある西行ゆかりの真言宗寺院。本尊は薬師如来。西行墓がある。真言宗醍醐派準別格本山。瑠璃光院。山号は龍池山。 葛城山の西麓にある。
目次 |
歴史
- 665年(天智4年):役小角が創建。
- 676年(天武5年):役小角の祈雨祈祷に霊験があり、天武天皇の勅願寺となる。
- 天平年間(729-749):行基が修行したとされる。
- 宝亀年間(770-781):光意という僧が修行していた(『元亨釈書』)。
- 812年(弘仁3年):空海が伽藍を整備する。
- 1188年(文治4年):弘川寺座主の空寂が後鳥羽天皇の病気平癒を祈願し、帰依を受ける。奥之院に「善成寺」の勅額を賜る。
- 1189年(文治5年):西行が空寂を慕って来訪し寺内に庵をむすぶ。
- 1190年(建久1年)2月16日:西行が死去。(『拾玉集』『長秋詠藻』)
- 1352年(正平7年/文和1年)3月4日:南朝の人質となった光厳上皇らが賀名生行宮に移る途中、弘川寺に滞在(『祇園執行日記』)。
- 1360年(正平15年/延文5年):楠木氏配下の隅屋正高が弘川の陣屋山城で北朝軍と交戦して敗退した。後に弘川寺境内大桜の下で自刃したという。
- 1463年(寛正4年)4月15日:畠山家内紛の兵火により壮大な伽藍が焼失。兄の畠山政長が弘川寺に籠り、弟の畠山義就が攻め、奥の院の善成寺と共に伽藍は全て焼失した。
- 1732年(享保17年)2月16日:安芸出身の歌僧の似雲(1673-1753)が西行を慕って来訪し、西行の墳墓を発見する。西行の庵跡の近くに「花の庵」を建てて隠棲した。
- 1739年(元文4年):西行550回忌法会を営む
- 1743年(寛保3年):似雲の発願で百万遍念仏法会が始まる
- 1744年(延享元年):似雲が西行堂を建立。
- 1753年(宝暦3年)7月8日:似雲死去。
- 1986年(昭和61年):西行記念館を建設。
伽藍
奥の院として善成寺があったという。
- 本堂:本尊は薬師如来。
- 御影堂:本尊は空海。御影堂の前には「三鈷の松」がある。
- 護摩堂:本尊は不動明王。役小角・大黒天も祀る。
- 地蔵堂
- 鎮守社:祭神は八所権現。寺内で現存最古の建造物。
- 西行堂:本尊は西行。延享元年、似雲が建立。
- 西行墓:西行の墓。西行墳。
- 似雲墓:似雲墳。
- 花の庵:似雲の庵。廃絶。
- 西行庵:廃絶。
- 本坊:仏間あり。
- 篠峰殿:本坊内
- 西行記念館:本坊内