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上徳寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年8月2日 (月)

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'''上徳寺'''は京都府京都市下京区本塩竈町にある[[徳川家]]ゆかりの[[浄土宗]]寺院。本尊は[[阿弥陀如来]]。境内の地蔵堂は'''世継地蔵'''として知られる。霊光院。山号は塩竈山。
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'''上徳寺'''は京都府京都市下京区本塩竈町にある[[徳川家]]ゆかりの[[浄土宗]]寺院。本尊は[[阿弥陀如来]]。境内の地蔵堂は'''世継地蔵'''として知られる。霊光院。山号は塩竈山(えんそうざん)。
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伝誉一阿が[[徳川家康]]の帰依を受けて創建。家康娘の泰誉院が生母上徳院の菩提寺として伽藍を整備し、上徳寺と称した。本尊像は[[鞭崎八幡宮]]から移したものとされる。1788年(天明8年)、1864年(元治1年)焼失。
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この付近は陸奥国塩竈の情景を模した[[河原院]]の跡地とされる。
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現在の本堂は[[禅林寺]]祖師堂を移築したものという。
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1603年、伝誉一阿蘇生が[[徳川家康]]の帰依を受けて創建。家康側室の阿茶局(雲光院、上徳院)が開基となった。伝誉は阿茶局の叔父に当たる。家康は本尊像を近江の鞭崎八幡宮から移したという。この像は近江国守佐々木判官が祈願し、[[八幡神]]の神勅が下り、[[快慶]]が彫ったものという。鎮守として[[塩竈神社]]を勧請した(現存不明)。
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1656年、八幡の清水という者が世継の誕生を願って本堂に参籠すると7日目に夢中に[[地蔵尊]]が現れ、その姿を石に刻んで、堂を建てて祀った。これが世継地蔵の始まりで、子孫繁栄し、信仰を集めた。
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享保年間にも住職に世継地蔵の夢告があり、ますます信仰が広がった。現在の地蔵堂は明治4年の再建。2月8日に世継地蔵大祭が行われている。
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1788年(天明8年)、1864年(元治1年)焼失。
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幕末には[[明治天皇]]生母の中山慶子が信仰を寄せたという。
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現在の本堂は[[禅林寺]]祖師堂(1753年建立)を移築したものという。
子院徳林院は1913年(大正2年)に大阪府に移転したというが、現在も同名寺院が隣接する。
子院徳林院は1913年(大正2年)に大阪府に移転したというが、現在も同名寺院が隣接する。
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(日本歴史地名大系ほか)
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他に子院として泰栄院があった。阿茶局墓、堀内雲鼓墓がある。
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(日本歴史地名大系、由緒書ほか)
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2021年8月2日 (月) 時点における最新版

永観堂から移築された本堂
地蔵堂

上徳寺は京都府京都市下京区本塩竈町にある徳川家ゆかりの浄土宗寺院。本尊は阿弥陀如来。境内の地蔵堂は世継地蔵として知られる。霊光院。山号は塩竈山(えんそうざん)。

この付近は陸奥国塩竈の情景を模した河原院の跡地とされる。 1603年、伝誉一阿蘇生が徳川家康の帰依を受けて創建。家康側室の阿茶局(雲光院、上徳院)が開基となった。伝誉は阿茶局の叔父に当たる。家康は本尊像を近江の鞭崎八幡宮から移したという。この像は近江国守佐々木判官が祈願し、八幡神の神勅が下り、快慶が彫ったものという。鎮守として塩竈神社を勧請した(現存不明)。

1656年、八幡の清水という者が世継の誕生を願って本堂に参籠すると7日目に夢中に地蔵尊が現れ、その姿を石に刻んで、堂を建てて祀った。これが世継地蔵の始まりで、子孫繁栄し、信仰を集めた。 享保年間にも住職に世継地蔵の夢告があり、ますます信仰が広がった。現在の地蔵堂は明治4年の再建。2月8日に世継地蔵大祭が行われている。

1788年(天明8年)、1864年(元治1年)焼失。 幕末には明治天皇生母の中山慶子が信仰を寄せたという。

現在の本堂は禅林寺祖師堂(1753年建立)を移築したものという。 子院徳林院は1913年(大正2年)に大阪府に移転したというが、現在も同名寺院が隣接する。 他に子院として泰栄院があった。阿茶局墓、堀内雲鼓墓がある。 (日本歴史地名大系、由緒書ほか)

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