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中山寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
中山寺(なかやまでら)は、兵庫県宝塚市にある、真言宗寺院。真言宗中山寺派大本山。本尊は十一面観音。西国三十三所観音霊場第24番札所。仲山寺とも。山号は紫雲山。
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歴史
草創
寺伝では創建以前、この地には仲哀天皇皇后の大仲姫が葬られたとされる。 その後、聖徳太子が物部守屋を滅ぼした後、大仲姫の霊を慰めるように託宣を受け、 中山寺を創建した。 本尊の十一面観世音は勝鬘夫人が女人救済のために自分の等身を写した像という。 徳道が巡礼した。
古代
『続日本紀』750年5月24日条に中山寺が地震による火災で塔など焼失。 『本朝高僧伝』には中山寺の良祐という僧が多武峰妙楽寺を訪れた逸話を記す。 寺伝では宇多上皇が中山寺独鈷尾の別所に滞在していたことがあるという。また源満仲が信仰したという。
中世
平安時代末に西国霊場が形成され、行尊巡礼時には11番、覚忠の時には12番だった。 寺伝では1185年、安徳天皇を匿った疑いで焼き討ちされたが、後に嫌疑は晴れ源氏の祈願所として再興されたという。 1234年には延暦寺大成就院領に仲山寺が挙げられている。 1335年1月、後醍醐天皇中宮の安産祈願が行われた。 1363年、摂津・清澄寺と境界争いが起きる。1523年にも再発。 1423年火災。1510年の時点では多田院の末寺になっていた。
近世
天正年間、伊丹城主荒木村重の兵火で全山焼失。 1605年2月、豊臣秀頼が再建。桑山重政が奉行となった。 1674年、仁和寺から子院に院号を与えられる。 子院が交代で中山寺村の庄屋を務めた。
近代
明治天皇誕生の際に生母の中山慶子が祈願したことから安産祈願の信仰が盛んになった。 1965年、本堂、解体修理。 (『日本歴史地名大系』、『大本山中山寺』)
伽藍
- 本堂:金堂。豊臣秀頼の再建。
- 護摩堂:権現堂。慶長年間の造営。
- 開山堂:太子堂。
- 大師堂:慶長年間の造営。
- 阿弥陀堂:慶長年間の造営。
- 地蔵堂:
- 羅漢堂:
- 薬師堂:
- 札納堂:
- 閻魔堂:慶長年間の造営。
- 奥院:
- 卜部左近墓:
- 夫婦岩:
- 白鳥水:
- 白龍大明神:
- 黒八大神:
- 五神窟:
- 七神窟:
- 六角堂:
- 鎮守社:慶長年間の造営。
- 疱瘡神社
- 中山寺村鎮守五社
- 大仲姫陵:石の唐櫃と呼ばれた。
- 安産手洗鉢:忍熊王の石櫃という。
- 天宮塚:聖徳太子の舎利を納めたという。
- 万霊塔:納骨堂。サーンチ塔を模す。
- 山門:仁王門。天保3年造営。望海楼ともいう。
子院
- 総持院:旧称は西之坊
- 宝蔵院:旧称は辻之坊
- 観音院:旧称は宝泉坊
- 成就院:旧称は杉本坊
- 華蔵院:旧称は松本坊
- 成就坊:
- 岩本坊:
- 滝本坊:
- 中之坊:
- 新坊:
組織
長老
- 石堂恵猛(?-1943)<>:仁和寺門主。
- 今井円海(?-1948)<>:
- 石堂恵俊()<>:
- 村主恵快(1922-1998)<1984->:自坊は中山寺総持院。1922年7月30日生。高野山大学予科。九州帝国大学卒。京都帝国大学大学院修了。インド哲学を専攻。1941年高法寺住職。1958年総持院住職。1984年中山寺長老・管長。1987年真言宗長者。1994年密教学芸賞。追手門学院大学教授。1998年8月11日死去。76歳。
- 池田瑩輝(1923-2004)<>:自坊は中山寺成就院。1923年7月24日生。1944年東亜外事専門学校卒。1953年種智院大学密教学科卒。1951年成就院住職。1987年中山寺長老・管長。1991年真言宗長者。1996年、密教教化賞。世界連邦日本委員会委員長。
- 今井円明(-2011)<>:自坊は中山寺宝蔵院。2011年6月25日死去。83歳。種智院大学学長。
- 石堂恵教(1932-)<1994->:関西学院大学大学院修了。産経新聞記者。1994年中山寺長老・管長。
- 村主康瑞(1950-)<1998->:自坊は中山寺総持院。早稲田大学卒。大阪大学大学院で山口恵照にインド哲学を学ぶ。1987年総持院住職。1998年中山寺長老。2010年種智院大学学長。2012年綜芸種智院理事長。
- 池田光輝(1952-)<2003->:自坊は中山寺成就院。1952年3月3日生。種智院大学卒。仁和密教学院修了。1991年成就院住職。2003年6月1日中山寺長老・管長。
- 村主康瑞()<?-2018>:再任?
- 今井浄円(1957-)<2018->:自坊は中山寺宝蔵院。1957年5月17日生。龍谷大学大学院文学研究科修了。仁和寺道場で加行、伝法灌頂。1998年宝蔵院住職。種智院大学教授。専門は密教学。中山寺執行長を経て2018年中山寺長老・管長。