ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

中臣氏旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年11月26日 (日)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
 
(間の4版分が非表示)
1行: 1行:
 +
[[ファイル:枚岡神社015.jpg|450px|thumb|枚岡神社]]
'''中臣氏'''は、[[天児屋根命]]を祖とする[[古代氏族]]。[[藤原氏]]の前身。[[大中臣氏]]も分かれる。「神祇の四姓」(王氏[[伯王家]]、[[中臣氏]]、[[斎部氏]]、[[卜部氏]])の一つ。
'''中臣氏'''は、[[天児屋根命]]を祖とする[[古代氏族]]。[[藤原氏]]の前身。[[大中臣氏]]も分かれる。「神祇の四姓」(王氏[[伯王家]]、[[中臣氏]]、[[斎部氏]]、[[卜部氏]])の一つ。
15行: 16行:
*11臣狭山命:『常陸国風土記』によると[[景行天皇]]の時代に託宣を受け[[鹿島神宮]]の御船祭を始めたという。[[狭山神社]]祭神。『続日本紀』781年条には意美佐夜麻とある。巨狭山命とも。
*11臣狭山命:『常陸国風土記』によると[[景行天皇]]の時代に託宣を受け[[鹿島神宮]]の御船祭を始めたという。[[狭山神社]]祭神。『続日本紀』781年条には意美佐夜麻とある。巨狭山命とも。
*12雷大臣命:[[卜部氏]]や壱岐氏の遠祖。『日本書紀』によると、烏賊津連と称し、[[神功皇后]]が神懸かりを行った時、審神者を務めたという。[[天諸羽神社]]・[[雷神社]]・[[能理刀神社]]・[[太祝詞神社]]・[[霹靂神社]]・[[雷命神社]]・[[裳着神社]]の祭神。中臣烏賊津使主とも。
*12雷大臣命:[[卜部氏]]や壱岐氏の遠祖。『日本書紀』によると、烏賊津連と称し、[[神功皇后]]が神懸かりを行った時、審神者を務めたという。[[天諸羽神社]]・[[雷神社]]・[[能理刀神社]]・[[太祝詞神社]]・[[霹靂神社]]・[[雷命神社]]・[[裳着神社]]の祭神。中臣烏賊津使主とも。
-
*13大小橋命:「中臣宮処氏本系帳」に浪速国大県の味原里で生まれたとある。[[鶴橋・比売許曽神社]]の祭神。同神社飛地境内社の産湯神社は大小橋命の産湯とされ、また近くには胞衣塚もあるという。『摂津名所図会』や『摂津名所図会大成』は[[御勝山古墳]]を墓と伝える。
+
*13大小橋命:「中臣宮処氏本系帳」に浪速国大県の味原里で生まれたとある。[[鶴橋・比売許曽神社]]の祭神。同神社飛地境内社の[[産湯神社]]は大小橋命の産湯とされ、また近くには[[大小橋命胞衣塚|胞衣塚]]もある。『摂津名所図会』や『摂津名所図会大成』は[[御勝山古墳]]を墓と伝える。
*14中臣阿麻毘舎:
*14中臣阿麻毘舎:
*15中臣阿毘古:
*15中臣阿毘古:
25行: 26行:
*21中臣御食子:蘇我蝦夷と共に[[舒明天皇]]を擁立した。中臣弥気とも。
*21中臣御食子:蘇我蝦夷と共に[[舒明天皇]]を擁立した。中臣弥気とも。
*22[[中臣鎌足]]:[[藤原氏]]の祖。
*22[[中臣鎌足]]:[[藤原氏]]の祖。
 +
 +
==画像==
 +
<Gallery widths="300" heights="200" perrow="3">
 +
ファイル:春日大社・若宮神社・本殿 (2).jpg|春日大社若宮
 +
ファイル:鶴橋比売許曽神社-07.jpeg|大小橋命胞衣塚
 +
ファイル:中臣金墓003.jpg|[[中臣金墓]]
 +
</Gallery>

2023年11月26日 (日) 時点における最新版

枚岡神社

中臣氏は、天児屋根命を祖とする古代氏族藤原氏の前身。大中臣氏も分かれる。「神祇の四姓」(王氏伯王家中臣氏斎部氏卜部氏)の一つ。

歴代

上古

画像

http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%B8%AD%E8%87%A3%E6%B0%8F%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール