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丹南・来迎寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | [[融通念仏宗]]の[[河内六別時]] | + | '''来迎寺'''(らいごうじ)は[[融通念仏宗]]の[[河内六別時]](中本山)の一つで、「'''十箇郷別時'''」と呼ばれた。丹南藩高木家の菩提寺。'''諸仏山護念院'''と称す。 |
- | + | 本尊は[[阿弥陀如来]]。かつては'''毘沙門院'''、'''多聞院'''という草庵であったが、天承元年5月、[[鳥羽上皇]]の勅願により[[良忍]]が寺院を創建し、'''阿弥陀寺'''と称した。のち[[法明]]が正中元年(1324)に再建し、河内六別時の一つとなった。元亨3年(1323)の再建ともいう。 | |
さらに江戸時代の正保4年(1647)、再建された。隣に丹南藩の丹南陣屋があった。丹南藩高木家の墓地がある。 | さらに江戸時代の正保4年(1647)、再建された。隣に丹南藩の丹南陣屋があった。丹南藩高木家の墓地がある。 | ||
法明の衣が残されており、供養塔もある。本尊の阿弥陀如来画像は法明が[[菅生神社]](堺市美原区)で感得したものという。 | 法明の衣が残されており、供養塔もある。本尊の阿弥陀如来画像は法明が[[菅生神社]](堺市美原区)で感得したものという。 | ||
- | + | (参考:同名寺院[[来迎寺]]) | |
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2015年9月16日 (水) 時点における版
来迎寺 らいごうじ | |
概要 | 融通念仏宗開祖・中興の良忍、法明の旧跡。 |
奉斎 | 阿弥陀如来 |
所在地 | 大阪府松原市 |
所在地(旧国郡) | 河内国丹南郡 |
所属(現在) | 融通念仏宗 |
格式など | 河内六別時、融通念仏宗中本山(近代) |
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目次 |
概要
来迎寺(らいごうじ)は融通念仏宗の河内六別時(中本山)の一つで、「十箇郷別時」と呼ばれた。丹南藩高木家の菩提寺。諸仏山護念院と称す。 本尊は阿弥陀如来。かつては毘沙門院、多聞院という草庵であったが、天承元年5月、鳥羽上皇の勅願により良忍が寺院を創建し、阿弥陀寺と称した。のち法明が正中元年(1324)に再建し、河内六別時の一つとなった。元亨3年(1323)の再建ともいう。 さらに江戸時代の正保4年(1647)、再建された。隣に丹南藩の丹南陣屋があった。丹南藩高木家の墓地がある。 法明の衣が残されており、供養塔もある。本尊の阿弥陀如来画像は法明が菅生神社(堺市美原区)で感得したものという。 (参考:同名寺院来迎寺)
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参考文献
- 『大阪府全志』4巻
- 松原市ウェブサイト[1]