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京城神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年1月25日 (木)
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- | *市秋弘(1874-)<1936-> | + | *谷村頼尚(1878-)<1916->:三重県出身。1878年(明治11年)生[https://dl.ndl.go.jp/pid/950462/1/345]。早稲田大学卒。皇典講究所卒。1916年(大正5年)10月20日、京城神社社掌[https://dl.ndl.go.jp/pid/1484609/1/86]。明治神宮主典となり、1920年(大正9年)11月1日、明治神宮鎮座祭に奉仕。皇国銀行常務。 |
+ | *金光慥爾(1883-1970)<1920-1925>:皇典講究所を経て1920年(大正9年)5月、京城神社に赴任[https://dl.ndl.go.jp/pid/3364953/1/42]。1925年(大正14年)帰京[https://dl.ndl.go.jp/pid/3365017/1/52]。(略歴は[[伊奈波神社#組織]]を参照) | ||
+ | *市秋弘(1874-)<1936->:兵庫県出身。1874年(明治7年)生。泊園書院・東雲学校に学ぶ。1902年(明治35年)1月、伊弉諾神社禰宜。1905年(明治38年)長田神社禰宜。1907年(明治40年)から1925年(大正14年)まで兵庫県皇典講究分所嘱託講師。1925年(大正14年)10月16日、京城神社社掌。1936年(昭和11年)8月1日、京城神社禰宜。8月11日、京城神社宮司(「ただし名誉職と心得べし」という)。(「任免裁可書」[https://www.digital.archives.go.jp/das/meta/M0000000000003139817.html]、朝鮮人事興信録[https://dl.ndl.go.jp/pid/1905848/1/43]) | ||
+ | *仲公(1897-)<1943->:三重県出身。1897年(明治30年)生。神宮皇学館卒[https://dl.ndl.go.jp/pid/1708339/1/214]。1937年(昭和12年)5月15日、大邱神社宮司。1943年(昭和18年)9月28日、京城神社宮司[https://dl.ndl.go.jp/pid/2961527/1/2]。 | ||
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2024年1月25日 (木) 時点における最新版
京城神社(けいじょう・じんじゃ)は植民地朝鮮の京畿道京城府倭城台町にあった神社。植民地朝鮮の首都京城の鎮守。祭神は天照大神、国魂大神、大己貴命、少彦名命。国幣小社。廃絶。朝鮮の神社。
目次 |
歴史
- 1898年(明治31年)11月:天照大神を祀って創建。
- 1929年(昭和4年)9月:国魂神、大己貴命、少彦名命を合祀。
- 1934年(昭和9年)9月13日:摂社乃木神社竣工。
- 1936年(昭和11年)8月1日:国幣小社に列格。
境内
- 本社:
- 乃木神社:摂社。
組織
宮司
- 谷村頼尚(1878-)<1916->:三重県出身。1878年(明治11年)生[1]。早稲田大学卒。皇典講究所卒。1916年(大正5年)10月20日、京城神社社掌[2]。明治神宮主典となり、1920年(大正9年)11月1日、明治神宮鎮座祭に奉仕。皇国銀行常務。
- 金光慥爾(1883-1970)<1920-1925>:皇典講究所を経て1920年(大正9年)5月、京城神社に赴任[3]。1925年(大正14年)帰京[4]。(略歴は伊奈波神社#組織を参照)
- 市秋弘(1874-)<1936->:兵庫県出身。1874年(明治7年)生。泊園書院・東雲学校に学ぶ。1902年(明治35年)1月、伊弉諾神社禰宜。1905年(明治38年)長田神社禰宜。1907年(明治40年)から1925年(大正14年)まで兵庫県皇典講究分所嘱託講師。1925年(大正14年)10月16日、京城神社社掌。1936年(昭和11年)8月1日、京城神社禰宜。8月11日、京城神社宮司(「ただし名誉職と心得べし」という)。(「任免裁可書」[5]、朝鮮人事興信録[6])
- 仲公(1897-)<1943->:三重県出身。1897年(明治30年)生。神宮皇学館卒[7]。1937年(昭和12年)5月15日、大邱神社宮司。1943年(昭和18年)9月28日、京城神社宮司[8]。