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以仁王旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | '''以仁王''' | + | '''以仁王'''(1151-1180)は[[後白河天皇]]の皇子。治承寿永の乱を起こした政治家。天台僧として出家するが後に還俗。1180年(治承4年)、[[源頼政]]に奉じられて[[平氏]]討伐の令旨を発令し、6年間に渡る源平合戦が始まる。最勝親王と自称。同年、山城国南部の[[光明山寺]]の近くで戦死。通称は三条宮、高倉宮。高倉神社祭神。治定以仁王墓。 |
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*[[オエド御嶽山遥拝所]] | *[[オエド御嶽山遥拝所]] |
2019年1月22日 (火) 時点における版
以仁王(1151-1180)は後白河天皇の皇子。治承寿永の乱を起こした政治家。天台僧として出家するが後に還俗。1180年(治承4年)、源頼政に奉じられて平氏討伐の令旨を発令し、6年間に渡る源平合戦が始まる。最勝親王と自称。同年、山城国南部の光明山寺の近くで戦死。通称は三条宮、高倉宮。高倉神社祭神。治定以仁王墓。