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休ケ岡八幡宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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'''休ケ岡八幡宮'''は、奈良県奈良市の[[薬師寺]]にある[[八幡信仰]]の神社。祭神は「誉田別命・息長足媛命・仲日売命」(国史大事典)。薬師寺鎮守。村社(国史大事典)。
'''休ケ岡八幡宮'''は、奈良県奈良市の[[薬師寺]]にある[[八幡信仰]]の神社。祭神は「誉田別命・息長足媛命・仲日売命」(国史大事典)。薬師寺鎮守。村社(国史大事典)。
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==創建==
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寛平年間(889-898)、別当栄紹が宇佐八幡を勧請して創建。南大門の南側にあった花苑内に建てられ、現在の鎮座地も同じ位置とみられる。近年の研究によると、同時代創建の他の八幡宮や『薬師寺古記録抜粋』の記述から、宇多天皇の勅願を受け、栄紹が寛平8年(896)に創建したとみられている(近藤将人2014「薬師寺僧形八幡三神像の成立事情について」)。
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創建前後に造立された神像は、神像美術の代表古例として著名。
==歴史==
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寛平年間(889-898)、別当栄紹が宇佐八幡を勧請して創建。南大門の南側にあった花苑内に建てられ、現在も同じ場所にあるとみられる。平安時代造立の神像は、神像美術の代表古例。嘉暦2年(1327)、焼失。のち再建。天文8年(1539)、薬師寺諸堂が暴風で破損。八幡宮も修復されるが、慶長元年(1596)、地震で倒壊。同年、豊臣秀頼の命で片桐且元が再建したのが、現在の社殿。八幡社八講、八幡社十講が行われていた。境内に若宮社があったが、昭和23年、古図に基づき別地に遷座。
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社殿は破損と再興を繰り返した。嘉暦2年(1327)、焼失。のち再建。天文8年(1539)、薬師寺諸堂が暴風で破損。八幡宮も修復されるが、慶長元年(1596)、地震で倒壊。同年、豊臣秀頼の命で片桐且元が再建したのが、現在の社殿。八幡社八講、八幡社十講が行われていた。境内に若宮社があったが、昭和23年、古図に基づき別地に遷座。
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==参考文献==
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*国史大事典
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*日本歴史地名大系
[[Category:奈良県]]
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2017年6月25日 (日) 時点における版

休ケ岡八幡宮は、奈良県奈良市の薬師寺にある八幡信仰の神社。祭神は「誉田別命・息長足媛命・仲日売命」(国史大事典)。薬師寺鎮守。村社(国史大事典)。

創建

寛平年間(889-898)、別当栄紹が宇佐八幡を勧請して創建。南大門の南側にあった花苑内に建てられ、現在の鎮座地も同じ位置とみられる。近年の研究によると、同時代創建の他の八幡宮や『薬師寺古記録抜粋』の記述から、宇多天皇の勅願を受け、栄紹が寛平8年(896)に創建したとみられている(近藤将人2014「薬師寺僧形八幡三神像の成立事情について」)。 創建前後に造立された神像は、神像美術の代表古例として著名。

歴史

社殿は破損と再興を繰り返した。嘉暦2年(1327)、焼失。のち再建。天文8年(1539)、薬師寺諸堂が暴風で破損。八幡宮も修復されるが、慶長元年(1596)、地震で倒壊。同年、豊臣秀頼の命で片桐且元が再建したのが、現在の社殿。八幡社八講、八幡社十講が行われていた。境内に若宮社があったが、昭和23年、古図に基づき別地に遷座。


参考文献

  • 国史大事典
  • 日本歴史地名大系
http://shinden.boo.jp/wiki/%E4%BC%91%E3%82%B1%E5%B2%A1%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE」より作成

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