ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

函館海軍墓地

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

2024年4月27日 (土) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
移動: 案内, 検索

函館海軍墓地は、北海道函館市にある海軍墓地七面山海軍墓地とも呼ばれる。正式名称は函館葬儀場

歴史

  • 1869年(明治2年)5月7日:戦闘。
  • 1869年(明治2年):七面山に函館港内の海軍戦死者7人を仮埋葬。
  • 1869年(明治2年)10月18日?:海軍戦死者18人を上磯郡富川村八幡宮社地に仮埋葬。
  • 1870年(明治3年)3月27日:富川村から七面山に改葬。
  • 1873年(明治6年)12月:陸軍卿海軍卿が官軍戦没者墳墓の保存を右大臣に請願。
  • 1874年(明治7年):函館支庁、七面社脇の125坪を海軍墓地として官有地に編入。
  • 1879年(明治12年)2月27日:開拓使から海軍省に回答。墓地の扱いについて。
  • 1881年(明治14年)10月23日:金田嘉平が軍務局に沿革を報告。


被葬者

  • 夏秋又之助:朝陽鑑副長。佐賀藩。1869年(明治2年)5月11日戦死。
  • 繁蔵:朝陽鑑。讃岐。1869年(明治2年)5月11日戦死。
  • 鬼塚麟之助広澄:朝陽鑑。長崎。1869年(明治2年)5月11日戦死。
  • 直吉:朝陽鑑。東京。1869年(明治2年)5月11日戦死。
  • 重吉:朝陽鑑。長崎。1869年(明治2年)5月11日戦死。
  • 村上源助:朝陽鑑。長崎。1869年(明治2年)4月29日戦死。
  • 栄太郎:朝陽鑑。東京。1869年(明治2年)5月11日戦死。
  • 吉太郎:朝陽鑑。兵庫。1869年(明治2年)5月11日戦死。
  • 順之助:朝陽鑑。1869年(明治2年)5月11日戦死。
  • 寅吉:朝陽鑑。肥前。1869年(明治2年)5月11日戦死。
  • 松尾由太郎:朝陽鑑。長崎。1869年(明治2年)5月7日戦死。
  • 矢野順作:朝陽鑑。長崎。1869年(明治2年)5月7日戦死。
  • 勝平:朝陽鑑。長崎。1869年(明治2年)5月7日戦死。
  • 善之助:朝陽鑑。長崎。1869年(明治2年)5月7日戦死。
  • 重吉:朝陽鑑。東京。1869年(明治2年)5月7日戦死。
  • 平山太郎吉:朝陽鑑。1869年(明治2年)5月7日戦死。
  • 松尾三助:朝陽鑑。1869年(明治2年)5月7日戦死。
  • 小林五郎:甲鉄鑑士官。山口藩。1869年(明治2年)5月7日戦死。
  • 徳次郎:甲鉄鑑。東京。1869年(明治2年)5月7日戦死。
  • 村山貞助:春日鑑。1869年(明治2年)5月11日戦死。
  • 上野太郎:春日鑑。1869年(明治2年)5月11日戦死。
  • 三迫宗太郎:春日鑑。鹿児島。1869年(明治2年)5月11日戦死。
  • 前田嘉七郎利金:春日鑑。鹿児島。1869年(明治2年)5月11日戦死。
  • 和田彦兵衛秋清:春日鑑。1869年(明治2年)5月11日戦死。
  • 寅吉:飛龍丸。八丈島。1869年(明治2年)5月11日戦死。

資料

  • 1940『海軍制度沿革7』「函館葬儀場」[1]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%87%BD%E9%A4%A8%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E5%A2%93%E5%9C%B0」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール